インドのピラニア

野球・相撲 時々その他 自由きままに書く インドのピラニアのように

俺は豪栄道の何も知っていなかった

令和2年になり、はや1ヶ月。2回目の東京オリンピックが間近になっていく中で、日々伝統を貫き、時代錯誤と戦っているスポーツがある。大相撲だ。

 

 

 

中学1年生から大相撲というものを真剣に見始めて、もう15年が経つ。つまり、人生を振り返ってみたとしたら、「大相撲を見ていない期間」より「大相撲を見ている期間」の方が長いということになる。もうずいぶんNHK様に寄付と関心を寄せてしまったという訳だ。

 

 

 

15年も見ていると、その力士が幕内で凌ぎを削っている姿もそうなのだが、十両にのし上がってきたときの初々しい姿だったり、幕下から上がれず苦闘する姿とかもしっかりと目に焼き付けている。おそらくそれの最初の力士が「沢井」だったのではないだろうか。

 

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当時「澤井」「影山」と言えば、コアな相撲ファンや学生相撲界隈に一目も二目も置かれた存在だった。後に「豪栄道」と「栃煌山」に名を変えた両力士は、数多の勝負を幕内で繰り広げることとなる。

 

 

 

澤井といえば、今でも語り草になっている取組がある。「澤井」とあえて本名を使ったのは訳がある。それはアマチュア時代の出来事だからだ。全日本相撲選手権、遠藤や御嶽海など、後の三役・人気力士が繰り広げた歴史ある大会。大学生力士・社会人力士が大勢参加するその大会に、沢井は高校生ながらエントリー。その結果全国3位というとんでもない勝ちっぷりを見せつけた。

 

 

 

その中で語り継がれるのが、澤井ー吐合戦である。澤井は高校生横綱ではあるが、吐合はその上の大学生横綱。つまり遠藤や御嶽海、古くは朝潮武双山などと同じタイトルを引っさげての参加だった。大学4年と高校3年のトップ同士の勝負。勝敗は当然ながら吐合に有利だった。はずだったのだが・・・

 

 

 

その勝負は澤井に軍配が上がり、未だかつて無い、高校生横綱>大学生横綱という力関係を相撲界に知らしめたのだ。しかも2連勝。この瞬間澤井の並外れた才能が明らかになった。

 

 

 

自分が豪栄道の存在を知ったのは、平成19年の9月場所で豪栄道の新入幕だった。11勝4敗という星取もさることながら、11日目までは10勝1敗の快進撃を続けていたところに安馬ですよ。元安馬・現日馬富士・いや途中日馬富士・現ダワーニャミーン・ビャンバドルジさん。今はモンゴルで実業家のこの人との戦いはスゴかった。

 

 

 

桁違いな安馬の立合の鋭さからの送り吊り落としで決着。その10秒弱の取組に豪栄道も数多な対策を取りまくっているのも、映像を見ればなんとなく分かる。この濃密な取組は好角家初心者のスーモにとってはかなり衝撃的だった。それと中日の旭天鵬戦もいい。左四つがっぷりに組まれて圧倒的不利な状態でも、旭天鵬を下せる力量は当時でも非凡だった。

 

 

 

https://www.youtube.com/watch?v=LmlGa4RaFOs

 

 

 

そこからの3年弱、ほぼ幕内上位で同学年の稀勢の里栃煌山と共に、当時の大相撲界を背負っていたわけだが、平成22年の7月場所に大トラブルに見舞われる。野球賭博である。

 

 

 

その翌年の八百長問題もあったが、野球賭博の衝撃もかなり大きかった。連日ワイドショーで取り上げられるし、時代柄、坂上忍ではなくみのもんたが、朝ズバで糾弾されるのを尻目に高校に行くという最悪通勤をする羽目になってしまった。「なんで相撲みているだけでこんな目に・・・」なんて思いながらの満員電車も辛かったが、豪栄道もかなり苦労したようだ。

 

 

 

FLASHだから鵜呑みには出来ないけれど、一説には1回の賭場に500万円の負けを叩きだしていたという豪栄道。この事件で2人の天才が被害を受けてしまったと思っている。1人は琴光喜。彼の相撲は正に天才の取り口と言っても過言ではなかったと思う。その大関がこの事件で角界から追われてしまったのだから、ファンとしてもめちゃくちゃ無念だった。しかし、豪栄道までそうはならなくて一安心もした。バクチで力士生命が絶たれてしまうということが無くて良かった。

 

 

 

兎にも角にも豪栄道角界に残れた訳だけども、それから先も様々なものと闘っていた。やはり自分の中で最も印象に残るシーンは、関脇時代の豪栄道だろうか。

 

 

 

関脇時代の豪栄道は、そりゃもう「大関」と言っても良かった。なぜなら、面白いように豪栄道大関を食っていたからである。琴欧洲琴奨菊などの佐渡ヶ嶽勢も稀勢の里も、この1番に勝てば・・・という勝負で豪栄道が止めにかかる。当時は日本人優勝が久しく出ていなかった時期もあり、千秋楽豪栄道に負けて優勝・大関昇進が絶たれる場面がかなりあった。

 

 

 

しかし、めちゃくちゃ強いのに、どうしてか大関に上がれるほどの勝ち星は挙げられなかった。*1それが豪栄道特有の引き癖にあった。

 

 

 

この当時から豪栄道と言えば「引き癖」だった。それも、かなりまともな引き。苦し紛れなのが透けて見えるような引きだった。そして不利になってからすぐの「首投げ」も問題の癖だった。首投げは、相撲の歴史から見ても安芸乃島が、首投げの癖で大関昇進を逃したとも言われている。その癖がありながらも大関を5年守り通せた豪栄道は、そういう意味でも天才と言っていいのではないだろうか。

 

 

 

大関昇進を叶える為には、その基準が高すぎて1つの黒星が命取りになってしまう。8-7を続けるのなら別にそのままでも良いかもしれないが、2桁勝利を目指す身分となると、おいそれとはいかなくなってしまう。押されると反射的に引いてしまう「引き癖」と、まだ何とかなる場面なのに、起死回生を期す技「首投げ」をすぐに打ってしまう癖が、豪栄道の相撲に潜む弱点だった。

 

 

 

・・・とまぁ、相撲雑誌に書かれるとしたらこのような感じだが、大関にもなっている力士に「悪癖が直らずに大成できなかった」なんて書きたくない。そう書いてしまう所が相撲雑誌のキツいところ。「何故横綱ではなく大関止まりなのか」で判断してしまう。それに豪栄道がそれを直さずそのままにした訳ないのだから。埼玉栄の相撲部員なら誰もが憧れる力士。貴景勝豪栄道の胸を借りて成長してきたのだ。

 

 

 

ネットを飛び交う様々なニュースと照らし合わせると、やはり度重なる怪我に悩まされてきたらしい。引退した場所は靱帯損傷が酷く、「深刻さが1・2・3としたら3。手術のレベル」という記事があった。手術をすると全治1年になってしまうので行わなかったらしい。もっと酷い時は肋骨が折れているのに「蚊に刺された」と言っていたとのこと。*2

 

 

 

確かに引退した場所の豪栄道は、急場凌ぎも良いとこだった。そういえば体があんなにタプタプした豪栄道も見たことは無かったな。当たり前だが、全治1年の重傷を負っている身で、満足な稽古が出来るはずも無い。立合すぐに右四つの十分、出足が生きていても、一気に御嶽海を土俵外に出すことが出来ないのを見るのは辛かった。

「かつて出来ていた事が出来ない」引退直前の力士のあるあるである。

右上手を取っているのに切られてしまう魁皇、出足良くても相手が1歩も下がらない千代大海を見てきた経験がある。

 

 

 

「貫いた信念はやせ我慢」と引退会見で答える豪栄道を見て、俺は改めて「相撲を見たところで、何もその本人のことを分かっちゃいないんだな」と痛感させられた。相次ぐ悪癖と大関になって満足できる成績を残せていない時点で、「相撲に真剣に向き合っていない」「自分の弱点を直そうとしない」と早合点していた。

 

 

 

力士になっている時点で、みんな相応の覚悟を持ち、とんでもない熱量で相撲に取り組んでいるのである。「飛行機に乗せてあげるから」という理由で千代の富士は入門したが、今や御嶽海が公務員or力士で悩んだくらいなのだ。どの力士にも現実は見えているし、それを踏まえて入門しているのだから、それ相応の覚悟を持って稽古に打ち込んでいるのだ。

 

 

 

それらを背景に見る全勝優勝は、また違った視点で見られていいものである。稀勢の里琴奨菊も6回優勝している鶴竜もしたことがない偉業でもある。改めて見ると13日目の日馬富士戦で、「悪癖」と言われた首投げで横綱を裏返しにしているのは、何かの因縁なのかもしれない。

 

 

 

https://www.youtube.com/watch?v=YRW-1iq7MGo

 

 

 

最後に、豪栄道の師匠の境川親方とは長年の付き合いがある舞の海さんが、とある記事でこんなことを言っていた。

 

 

 

 「親方の性格はカラッとしていて、常に“やせ我慢”(笑)。実は、相撲が始まると情緒不安定になるんです。『相撲を取るのは力士なのに、親方がそんなに一喜一憂してどうするんですか』と私が言うほどです。弟子たちの成績が悪いとすごく落ち込むけれど、それは周りには出さない。 厳しさと愛情の両方が強い親方なんです。境川部屋の強さの秘密は、そこにあると思うんですよ」

 

 

 

奇しくも親方と同じことを口にしていた豪栄道。いや、引退したので武隈親方になってしまったが、親方として、親父が遂に成し遂げられなかった(まだ可能性はあるが)横綱を輩出することが夢だという。四十路になったらまたNHKで見られるといいな。

 

 

ステロイドが駄目なら スピットボールも駄目だろ

2020年のアメリカ野球殿堂表彰者が発表された。

 

 

今年の注目と言ったらやはりデレク・ジーターになる。ていうか引退したのもう5年前なんかい。松井秀喜も8年前である。




いつの間にか俺が青春を謳歌した野球は、遠い昔の話になり、「古き良き時代」と令和生まれにカテゴライズされることだろう。子供の時に高橋慶彦を知らなくて、カープ女子の母親に驚かれたあの日のように。

 

 

 

もちろん、当然のようにデレク・ジーターは殿堂入りに選ばれて、焦点は「マリアノ・リベラ以来の満票選出」に移ったが、残念ながら1票逃してしまい満票とはならなかった。




得票率99.7%は野手最高投票率とのこと。しかし、何故か元ソフトバンクのペニーが1票獲得しており、アメリカのtwitterのトレンドに入っていた。日米でなにかと話題に上がる選手である。

 

 

 

さて、もうひとつ毎年のように話題にのぼる議題がある。その中心に居るのは毎回やはりロジャー・クレメンスバリー・ボンズである。

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2000年代初頭の巨大な2本のバベルの塔。どちらも圧倒的な成績を残し続けた。片や350勝・片や歴代本塁打記録保持者である。しかし、双方ともステロイドの使用が確実視されており、毎回殿堂入りを逃し続けている。

 

 

 

ステロイドの使用はもちろんゴリゴリに悪いことだし、クリーンでずっと勝負し続けている、それこそケン・グリフィーjrないしデレク・ジーターは、ずっと馬鹿正直に見えて損をしているように思える。




あと、ただ単純に健康にごっつ悪い。80年代のステロイド全盛時代の最速スプリンターのジョイナーは、それが祟って早逝しているし、おまけに32年も女子の世界記録として君臨し続けている。こんなに恥ずかしいこともない。他の人も肉薄すらしていないのも、ステロイド使用の説得力を高めている。

 

 

 

俺がアメリカ殿堂の件で毎回思うのは、ステロイドのこともそうだけど、それとは別の「反則」についてである。MLBで昔から行われているスピットボールである。

 

 

 

スピットボールとは、ボールの表面に紙やすり等であえて傷を付けて、投げた際に発生する空気抵抗を不自然にすることで、通常では起こりえない変化をつける反則投球である。

 

 

 

このスピットボール、100年以上前から定期的に浮上している問題であり、そんな太古の反則かと思いきや、去年の菊池雄星の松ヤニもそれに当たる。

(反則しても成績残せないのはちょっとかっこ悪いぞ)




これの使い手で有名なのが、50年代のヤンキースのエース ホワイティ・フォードや300勝投手のゲイロード・ペリーなど枚挙に暇がない。いずれも殿堂入りしているし、自伝ないし記事で「自分はそれの使い手だ」とバラしている。

 

 

 

いや、なんで選ばれてるんだよ。

 

 

 

ステロイドもスピットボールも同じ「反則」なんだから、スピットボールの使い手が選ばれている以上、ストロイド使用者も殿堂入りすべきというのが私の意見である。




もしも、ステロイド使用者が選考期限の15年経っても選ばれていないというのなら、同じく反則しているスピットボーラーも殿堂から外さなければ筋が通らなければないか。そして永久に讃えるというコンセプトで通っているのだから尚更そうだ。




 「反則していながら突き抜けていない」というのも、ちょっとかっこ悪い。確かにホワイティ・フォードもゲイロード・ペリーも殿堂に入っている訳だから、かなりの成績を残しているものの、350勝もサイヤング7回もHR記録も残していない。




同じく突き抜けていないから選ばれていないであろう マグアイアやソーサはあっという間にフェードアウトしているように、その辺の公平性は整えて欲しいと思うのは俺だけなのか。




そういえば、最近巷を賑わせている「サイン盗み」という反則にしてもそうである。アストロズレッドソックスの選手は、このブログの通り、筋を通せば殿堂に選ばれる資格は無いってことになる。




バーランダーないしコールが不世出の本格派ってことは、今衛星放送をかじりついているmlbファンが一番把握しているのだ。特にバーランダーは相応しい成績を残し続けている。そのバーランダーに * のマークなんて最も付けたくないのだ。




だからこそこれからの野球はクリーンになって欲しい。それこそステロイドだけでなく、あらゆる面から膿を出しきって欲しい。相撲だけ膿を取り除き続けているのも、それはそれで「なんでだよ」とも思ってる。




ペニーに大事な1票投じるくらいなら、殿堂入りの公平性についても、是非バチバチ議論して欲しいものだ。日本もアメリカも、野球に関しては問題が山積みである。どちらも今の人気にあぐらを掻かずに、より面白くなって欲しい。そう願うファンでした。









シーユーアゲイン なにもあげん


オフシーズンに獲得した新外国人の2020年を占う

2019年、今季も終わりオフシーズンに突入した。



あっという間である。かつてはシーズン終わるまでなげぃと思っていたのに、この頃はちゃんちゃら出勤してたらいつの間にかシーズンが終わっていた。昔はパワプロ君も1年に2回出していたというのに、この頃は2年に1回なのもまぁ時代っすかね。



MLBを観始めて8年目に突入したこともあり、MLB時代を知っている選手も大分増えてきた。ビシエドやらロメロやらロペスやら、結構BS越しに目にしてきた選手が、なんの因果か日本の球場にひょっこり立っているのだから不思議である。



というわけで、MLB当時を知っている選手達をここで簡単に紹介してみようと思います。獲得評価とおおざっぱで当てにされたら困るけど成功確率も載せてみました。当たるも八卦当たらぬも八卦なので、どうか優しい目で観てください。



巨人:ヘラルド・パーラ
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我がプロ野球が誇る大本営読売ジャイアンツがまたしても大本営発表かましてきた。戦前とは異なりこれは事実らしい。今季のWS覇者ナショナルズの一員である男が、来季から東京ドームを駆け回ることとなる。



「ベイビーシャーク」と呼ばれるパフォーマンスを開発して今季のMLBを湧かせてきた男。パーラは今季でプロ生活12年目を迎えたベテランでもある。MLB昇格したのが20歳の若さで*1、これで10年以上生き残っているのだからスーパーエリートである。



そんな人が何ゆえNPBの門を叩いたのか。それはひとえに、ここ数年アメリカ球界を揺るがす「FA大寒波」である。海の向こうでは、立て続けにFA後の大型契約が振るわず、数億数十億規模の大損害を叩き出しており、この煽りを受け、30過ぎの選手の契約が全く決まらないという異常事態が起こっている。



パーラとて例外ではなく、ここ2年間は何れもマイナー契約であり、加えてバレンタインデーに就活を終えている。今年で3年連続の就活。巨人はこの間隙を上手く付いた。今年は11月で所属も出来るし、2億貰えたら家族も安心させられる。差し引き約3ヶ月、FA先を考えずに野球の練習に打ち込めるのは大きいと思われる。WIN-WINの契約ではないだろうか。



【どういう選手???】
打撃はキャリアを通じて早打ち。ここ数年改善されてはいるが、未だに辛抱強く球の見極めを心掛けるタイプではない。その分だけコンタクト能力も高く、MLBの中でも三振で終わるのは珍しい。パワーにはあまり秀でていなく、打球速度はMLB平均を大きく下回っている。得意にしているコースも無いが、逆に苦手にしているコースもない。青木のMLB時代に似ているが、青木より選球眼では劣っている。



パーラといえば、やはり堅守であり剛肩である。全盛期はイチローと張り合う(或いは上回る)と言われたバカ肩はオンリーワンの魅力。MLB見たての頃は世界で3本の指に入るキャノンっぷりを発揮。もう2本はもう既に引退という悲しみ。それに比べ、パーラはかなりタフである。守備指標は概ね+評価で、守備で足を引っ張ることはまずないと思われる。ゴールドグラブも2度受賞している。



来季の成績予想は.280~.300 10HR~15HRで中距離ヒッターとして35二塁打以上あたりが現実的。LFのゲレーロの席が空いた今、レフトの穴埋めには持ってこいの選手。またほぼ全てのシーズンで100試合以上出場と4000打数以上経験している。まさにトップレベルの選手といえる。



パーラに期待したいのは、成績以上にメンタリティも大きいだろう。WS制覇のチームに在籍して、翌年からNPBで働くという例が、一体いくつあっただろうか。この契約には、巨人の日本一奪還の意味もおそらく込められている。かれこれ最後の日本一から7年離れている。セ・パの実力差は想像以上に大きい。これを埋められるメンタリティを植え付けられるか注目である。



【総合評価】A 【成功確率】70%



阪神ジャスティン・ボーア
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ロサリオ・グリーンウェル・メンチなど、ことネタ外国人の宝庫でもあり、日本一道頓堀ダイブを30年以上待ち望む、西の猛虎も黙ってはいない。今季も中々の大物を釣り上げた。エンゼルスから大谷の同僚でもあるボーアを早々と釣り上げた。


【どんな選手???】
今季の新外国人史上でも1・2を争う長距離打者。だが、パーラとは異なりMLBデビューは26歳と遅咲き。そもそも、カブスの25巡目・770番目に指名された生粋の雑草である。



20HR以上・OPS.800以上を3回もマークしており、左方向にも大きい打球を飛ばすことができる。また、キャリアの大半を過ごしたマーリンズは、30球団で最も本塁打が出ない球場として有名であり、そこを本拠地に構えての20HR以上は想像以上に価値がある。ちなみにそこで59HR放った同僚(もちろんジャンカルロ・スタントンのことである))は300億以上の契約をもらっていた。



NPBに来る外国人は得てしてキズがつきものだが、ボーアの傷はかなり多くて深い。まず、左投手はほとんど打てない。ここ2年は右投手にのみ起用されていて、左投手時の打率はいずれも1割台に沈んでいる。右投手と左投手で、打順を変えることを視野に入れなくてはならない。選球目には秀でていて、打席ではかなり辛抱強く待てるものの、今年の打率.172ではさすがにカバーしきれない。



打撃ではまだしも、守備は「道路工事用のコーンの方が広い守備範囲」と記者から酷評されてしまった。グラブ捌きは下手ではないものの、流石に120kg超の体重で機敏の動きは期待できないかも。というより、ホームベースから1塁までの到達タイムが、平均4.82という初芝を彷彿とさせるかのような鈍足っぷりである。守備防御点もおおむね毎年マイナスになっている。また、両足共に爆弾持ちで、何度か長期離脱も経験している。



擁護できるポイントも勿論ある。2019年はMLBでは不振だったが、AAAでは打率.316/出塁率.441/OPS1.104と野球無双している。まさにコーエー状態。そしてMLBでのBABIP*2が.196とかなり不運に泣いた。打球角度や打球速度はMLB平均よりかなり良く、コンタクトさえ出来れば、打球の質に関しては問題ない。baseball referenceによると、2020年のMLB成績予想は.237 16HR OPS.780と持ち直す予想が出ている。ましてやNPBなら尚持ち直す期待も持てる。



上手くいけば、打率2割後半30HR以上が期待できる選手。まずは150~200打席様子を見て、起用法を考えてもらいたい。



【総合評価】B 【成功確率】60%



オリックス:アダム・ジョーンズ

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伝説のWBCでのHRキャッチ このプレーで一気にアメリカの優勝をたぐり寄せた


MLBファン誰もが驚く移籍だった。10年代も大きな見所を見せられないままペナントを終わってばかりいた、パのお笑い担当いやお笑いにもならない注目度のオリックスが、銀行をバックにした潤沢で唯一の長所の資金力で、通算282HR・1939安打というNPB史上5指に入る超大物を捕まえた。



MLBでAJと言えば、アンドリュー・ジョーンズとアダム・ジョーンズだったのだが、まさか双方とも太平洋を渡ってくるとは。特にアダム・ジョーンズは、2年前に年俸17億円以上*3を貰っていたオリオールズの看板選手だった。そして、元々はマリナーズの有望株だった。マリナーズは野球ファンが気づかない所でも着実にミスっているのだ。



そんな名選手にも思わぬ危機が訪れる。前述した「FA大寒波」である。そこそこの成績を残して18年FA市場に出た彼に待ち受けていたのは、1年3億円というとんでもない低評価だった。一気に14億ダウン。しかも雇用は1年のみ。おそらく税金で19年シーズンは大赤字だっただろう。その間隙をオリックスは突いた。複数年契約と2年8億円を用意し、見事アダム・ジョーンズをかっさらってみせた。



【どんな選手???】
典型的な「オールドスクール型」の選手。打撃は極度の早打ちで、かなりのローボールヒッター。キャリアを通じて出塁率が.340を越えたことがない。通算出塁率は.317と名選手としてフィルターを通すとかなり低い。毎年のように四球率はMLB下位5%に食い込んでしまう。
その代わり、打率は計ったかのように.280に乗せる選手。HRは20本後半を毎年記録する。



アダム・ジョーンズの守備は、MLBで再三に渡って議題に持ち上がることで有名だった。ゴールドグラブを4度記録した名手なのに、守備防御点は毎年マイナスで「ゴールドグラブを正確に選出できていないのでは?」と、セイバーメトリクスに造詣の深い記者から苦情を呈されていた。しかし、選手間の評価は全くの逆で「センターにジョーンズが居れば安心だ」と常に高評価だった。



ジョーンズの守備は全くムダが無い。打球落下地点に真っ直ぐ向かうし、機械の如く数度目を切り、出来るだけダイビングやフェンスに激突するようなプレイはしない。しかし、逆にそれがアダになり打球反応とその後の加速が遅く、守備範囲の狭さが露呈したのだ。



全く逆の選手にバイロン・バクストンという選手が居る。彼は全ての打球を危なっかしく捕る。3塁打時の3塁到達タイム10.5というオリンピック級の韋駄天を持つ彼は、普通の選手では追いつけない打球を、目も切らずにフェンスに激突しながら取る。(最短距離は取っているらしい)危なっかしい守備故に、ジョーンズよりも遙かに守備防御点は良いのだが、毎年長期離脱をしてしまう。体の負担が大きすぎるのだ。



ジョーンズに故障離脱という文字はない。なんと最後の故障離脱は2009年というタフさだ。毎年150試合前後出場し続けてきた鉄人である。無理なく安全運転をし続けるのがジョーンズのスタイル。アメリカの坂本勇人である。もう人種から違うが・・・



指標の進化によって、ジョーンズは最もそのあおりを受けた選手の1人である。故に14億マイナスという憂き目に遭ってしまった訳だが、逆を言えば、33歳シーズン終了時点で1929安打というスーパーエリートでもある。こんなメジャーリーガーは滅多にお目にかかれるものではない。故障離脱の可能性も薄いので、個人的には最高の指名と言っていい。センターで守らすには範囲が狭いので、とりあえずライトでプレーさせたい。



【総合評価】A+ 【成功確率】85%



以上で、今回の新外国人の査定を終了したいと思う。また、新外国人が入り次第、適宜更新とDeのオースティンや、ヤクルトのエスコバーの紹介もしたいので、引き続き何卒よろしくお願い致します!!



〈これも是非〉
mochan9393.hatenablog.jp

mochan9393.hatenablog.jp









シーユーアゲイン なにもあげん

*1:MLB初昇格の平均年齢は27歳

*2:本塁打を除くグラウンド内に飛んだ打球が安打になった割合。年代によって差はあるが、約.300前後を推移

*3:このブログでは、分かりやすいように1ドル100円で換算しています

改めて稀勢の里の引退を振り返ろう

俺が相撲を見始めた頃からこんな感じだったな。



朝イチでネットニュース見たときの「とうとうこの時が来てしまった」という寂寥感をエネルギーに変え、ちょっぴり眠り続けていたブログを呼び起こすとした。



そのエネルギーが、脳内に眠り続ける10年以上前の記憶を呼び覚まし、初めて名前を知った日の記憶を、目頭の奥の脳内ビジョンに高画質で映し出された。



2006年の初場所、時は朝青龍全盛期、ちょうど中田英寿とモンゴルで巡業抜け出してヘディングするちょっと前だった。



小学6年生で、全く望まなかった中学受験を受けさせられ、親から期待というか、「受からなかったらどうなるか分かってる???」という異常な視線を向けられていた、髭も生えない僕よりも、端から満ても明らかに可哀想なくらい、全相撲ファンの異常な期待を背負っていた。



萩原 寛 四股名稀勢の里


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後に久方ぶりの日本人横綱として、大相撲の歴史に名を残したこの力士は、既に宿命を背負わされながら相撲をしていた。



初めに断っておくが、現在に至るまで、数多のスポーツ選手・芸能人・文化人が、ファンなり事務所なりの期待を背負って、透明であるはずのプレッシャーが、具現化して可視できる状況になり、目が虚ろなりギラギラした人ならざる人、こういう類いの人物は見覚えがあると思う。アイドルによく居るこういう人。めちゃ怖い。



たけど、稀勢の里の背負っていた期待は、たぶんこんなもんじゃなかったのでは。おそらく「日本人で最も期待を背負わされた人」だったのかもしれない。



何故そんなことになってしまったのだろう。 日本人だったからだ。



既に引退して10年近くたった今、朝青龍時代を知らないファンも増えてきた。朝青龍の取組映像で「今こんな力士が居れば面白いのに」とか「朝青龍が居た時代は良かった」とかね、流れてきますけども、まーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーちゃんちゃらおかしい。



朝青龍時代といえば、満員御礼が出ないのが当たり前の時代。出るのは初日・中日・14日目・千秋楽の4日間が相場という、今みたいに1年90日間やって90日ないし、最も人気がない九州場所2日目以外は満員御礼といった所だろう。



あんな見事なヒールが居るのに人気がない。ヒールは人気回復のお膳立てに効果的なのは周知の通り。ヒールが居れば因縁が生まれる。宿命も生まれる。蝶野が居たから三沢も映えた。ホーガンが居たから、立ち向かう猪木が映えた。だから新日本プロレスはこの時代の怪物コンテンツになり得た。



現在の角界にはヒールなんて居ないのに(強いていうなら白鵬……?)チケットは取れない。当日券も始発の電車に乗って取れるかどうかも分からない。未だに不祥事は絶えないというのに、客は我先に駆けつけてくれる。



理由は2つあった。
1つはこの時代にヒールを叩きのめす「ヒーロー」なんか居なかった。
もう1つは単に「朝青龍が横暴すぎる」という点に尽きた。彼はヒールの域を越えていた。



不祥事起こしまくって、相撲ファンの居心地を悪くし続けていたし、稽古場でかわいがりもよく見られた。目ぼしい力士を片っ端から指名して、再起不能の怪我を負わせたりもした。高見盛が正にそれだった。今でこそ愛されている高見盛なのだが、朝青龍との稽古で怪我をする前は、大関を見据えた立派な有望株だった。




そんな「横綱の品格」以前に「スポーツマンシップ」に欠ける悪人を何とかならんものか。この当時の国技館やTV画面の向こうでは、空気は常になにかどんより重くて、楽しむというよりかはどこかピリピリしていた。




今のように「玉鷲と御嶽海の戦いが楽しみ」なんか、これっぽっちも考えたことがない。「中日旭天鵬???おいおい」と朝青龍の相手が勝てそうに無かったらもの凄くガッカリした空気が流れていた。




「中日に旭天鵬横綱と戦わせないで下さい。勝敗が分かりきっているから・・・」と当時の国技館のアンケートに書いたのは、何を隠そう世を忍ぶ若かりしスーモ。抽選で椅子席が2枚当たるらしい。そう上手くは行かないだろうと、ダメ元のケンカ腰で意見を書いたら、数週間後に我が家にチケットが届いた。相撲協会はものすごい勇み足を踏んでいた。



懐かしの平成20年代は、日本人トップの陣容に木枯らしが吹いていた。魁皇琴光喜千代大海は何れも35歳前後のベテラン勢。これ以上の実力UPは望めなかったし、唯一20代の琴欧州は、1人だけローション土俵で戦っているような、かなり脆い敗北を続けていた。河本準一なら骨折して治療費を生活保護でタダにしている所である。



そんな時代に稀勢の里は居た。18歳で関取を射止め、貴乃花に次ぐスピード出世を遂げたスーパーエリートは、10歳は離れた上位陣と毎回しのぎを削っていた。学校なり定時が迫る5時30分。好角家は毎日星取表を確認しては一喜一憂していた。



相撲ファンが注目したのは、日本人横綱が居なかったという、理由だけではなかった。99%の力士が「寄り」か「押し」だけを極めるように相撲を取っていくのに対して、稀勢の里はどちらも出来るというスーパーレアな力士だった。こんな逸材はそうお目にかかれない。課金してガチャ回しても出ない。「日本人横綱にもしなれる人が居たら、多分この人だろう」と全員思っていた。



しかし、どうもおかしい。上位陣と競り合ってる期間が3年・4年と伸びてくるたびに、ファンは首をかしげ、心もとないヤジが飛ぶようになっていた。



稀勢の里が一向に伸びてこない。まだ大関には千代大海魁皇も居る。2人ともボロボロなのにその座を稀勢の里に譲る雰囲気は微塵もない。そしてその2人に引導を渡せる感じもない。



そんなこんなしていたら、稀勢の里をはるかに越える恐るべき力士が上がってきた。白鵬である。この天上天下唯我独尊横綱は、稀勢の里ピッケルで進む山肌を、軽くスキップで越えていくのだ。



白鵬は初めての上位陣総当たりの場所で、12勝3敗で乗り切るという相撲ファンからしたら常識外れな成績を残していた*1稀勢の里も8勝7敗で並の力士ではないと証明しているのに。



今振り返ってみると、上位定着から大関まで数年間かかることは、別に特段に遅いというわけではないし、むしろそれが通常なのだが、ものの1年ちょいで大関ないし横綱に上がってしまう白鵬と、そんなことも言ってられない、外国人横綱のみの異常ともいえる番付がそうさせなかった。



白鵬は上がっているのに、何故稀勢の里は上がれないのだ」ファンはずっとやきもきしていて、そうこうしている内に、日馬富士と把瑠都がこの出世レースに割り込み、いつの間にか琴奨菊にも先を越されてしまった。大関には先に上がれたけれど、横綱昇進は鶴竜の方が早かった。引退後、貴景勝に至っては初土俵から5年もかからず上がっていた。



もちろん稀勢の里稀勢の里なりに、着実と実力を伸ばしていたのは全員が認めるところであった。白鵬の連勝記録を63を止めたのは、紛れもなく稀勢の里だった。そしてついでに43連勝で止めたこともある。


白鵬-稀勢の里 平成22年(2010)十一月場所2日目
この映像の終盤を見たら分かるが、当時の国技館は閑古鳥が本当に鳴いていた。当時の不人気ぶりが分かる映像とも言える。



それでも、相撲ファンが期待する優勝には本当に届かなかった。稀勢の里が10日目まで9勝1敗で乗りきっても、白鵬が大概10勝0敗で乗りきってしまう。高すぎるハードル。ハードル走なのにセルゲイ・ブブカが飛ぶ高さ。横綱は確かに強いが、1年中10連勝してしまう力士は白鵬しかいない。わずか1つの取りこぼしで、あっという間に本割・優勝決定戦の2連勝せざるを得ないという、圧倒的アウェーに置かされてしまう。



そのわずか1つの取りこぼしが、その1番だけ稀勢の里という「箱」に素人の「魂」が迷い込んでしまったかのような、本当に弱すぎる内容で負けてしまうから不思議でしょうがなかった。特に碧山戦でそれが起こりまくっていた。



力量差は圧倒的だというのに、妙に顔が強張る稀勢の里。目がぱちくりしている時は緊張に飲まれている証拠。みんな知っていた。こういう時の稀勢の里は負けパターン。立合い、何故かピョンとジャンプをしてしまう稀勢の里。倒れないことがキモなスポーツで、なぜか最も倒れやすい体勢になってしまう。200kgの碧山のもろ手が直撃して、あれよあれよと後退したのち、あえなく1敗する。これが当時の定番。



こんな負け方をばかりしていたので、稀勢の里に関わるバッシングなど、それはもう酷いものだった。「上半身ばかりトレーニングして、すっかり稽古した気になっている」という評論家や「夜遊びが足りない」という素っ頓狂な意見まで、毎場所のように記事がまとめられていた。「もっと女を抱いた方がいい」という、ラサール石井みたいなファンもちらほらいた。

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でも、それでも稀勢の里の応援をやめたファンは1人も居なかった。それは日本人横綱を期待しているからという理由もあるけど、それ以上に「誰よりも努力している」ことをみんな知っていたからだ。



稀勢の里は全くバラエティに出なかった。本人自体はユーモアに溢れていて、面白い人だということは、昔からよく聞いていたけれども、それを全くメディア越しに表現することはなかった。強くなるために愚直に我慢していたし、寡黙な人だと思わせることで、少しでも大相撲で有利になろうと努めていた。生活の全てが相撲中心という、SASUKEの山田勝己のような生活に努めていた。



現代において、ここまで愚直な生活を続けられる人は本当に少ないし、またその生活が報われる日が来たのは、想像以上にずっと遅かった。日本人優勝も琴奨菊に取られてしまったし、引退して1年も経たずに、御嶽海が優勝回数でもう稀勢の里に並んでしまった。



だからこそ、稀勢の里が優勝したときほど、俗にいうエモい瞬間はなかったと思う。優勝して「おめでとう」というより「良かったなぁ」という感覚。似ているようで違う。報われたという感覚。他の力士が優勝するときとは、少し違う胸のうちだったのを覚えている。



そのあとは周知の通りで、次の場所で連覇したものの、左腕を絶望的に痛めてしまって、それが治らず現役を引退した。まさしく流れ星のような力士生活だった。



2019年の1月に引退したので、そろそろ1年がたつ。引退を聞いたときはヒステリーに際なわれた好角家も、もうメンタルが落ち着いてきた。あれから土俵ではなく、解説者席に座るようになった荒磯親方。かなり流暢なトークとどっしりした理論で相撲を解説していて、みんな目が点になっている。この人が碧山にジャンプしていた力士なのかと。あっという間に人気解説者になりそうである。



稀勢の里が土俵から去って、まだちょっとしか経っていないのに、大関の陣容も大分変わってしまった。弟弟子の高安までもが、不運な怪我によって関脇に陥落することが決まった。この1年で大相撲がとんでもなく変わっているのに、白鵬だけは全く変わらず横綱に居座っている。とんでもなさすぎる。



ひょっとしたら、稀勢の里が自分の部屋を持って、その弟弟子が倒さなければ、白鵬は引退しないのかもしれない。稀勢の里が育てた弟子・あと10年は頑張る横綱。どっちも見たいものである。






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先場所のとある日本人力士とモンゴル人力士の話

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43回目の優勝を飾った白鵬の話







シーユーアゲイン なにもあげん

*1:通常上位初挑戦の場所は、5-10・4-11のような2桁敗戦が当たり前

【緊急企画】金田正一は如何にして400勝したか辿ってみよう(前編)

ラグビーWカップと台風でざわめく日本。しかしスポーツの世界にはあらゆる記録が存在する。

 

 

 

100m・200m・400m短距離走のコンマ1秒を争うものもあれば、ハンマー投げ砲丸投げのように投げた距離をメートルないしセンチで測る記録もある。それ以外にも室伏広治みたいに日本選手権20連覇のような、1位になった回数あるいは連続記録なんかも、記録としてあてはまる。

 

 

 

当然、野球にも記録はあるし、なんなら「記録のスポーツだぞ!!!!!!」と声を文字通り大に公言してもいい。打率・HR・打点の3冠をはじめとして、盗塁・盗塁死・出塁率・守備率・得点圏打率もあれば、WHIP・BABIP・BB/K・FIPのように、素人を置き去りにするかのような指標の数々はまるで株式市場だ。あまりの指標の多さに、あまたの数学自慢や統計学者が、熱心に野球を数学的観念からひもとこうとしている。たかがスポーツなのに、いや、されどスポーツなのか。

 

 

 

そんな記録の中に、地球上のあらゆる学者がその不可思議な数字に首をひねったり、印刷ミスではないかと資料を凝視する。そんな不滅な記録がある。

 

 

 

金田 正一の通算400勝である。

 

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「しょういち」ではなく「まさいち」と読む、独特な読み方をするのでよく間違えられる。先日故人になってしまったが、間違いなく日本がほこる大投手である。なぜそう言い切れるのか。

 

 

 

天皇

彼のことを「尊敬」と「皮肉」を込めてそう呼ばれている。監督を監督していると言われるほど、試合では勝手にいい場面になると変わるし、それが元で通算0勝でキャリアを終えてしまった選手もいるとか。おかげで、あまり良いように言わない人も居る。「勝ち星をヌッスした」とか「298敗している」とか。ヌッスという日本語が聞き慣れなさすぎる。

 

 

 

400勝298敗という、チーム数年間の成績じゃないかと見紛うほどの飛び抜けた記録。でも金田のことを知っているという人は本当に少ないだろう。金田が注目されたのは65年~69年の巨人に移籍してからと、58年に長嶋茂雄のデビュー戦で、4打席4三振に切って取った一瞬のみ。

 

 

 

国鉄時代にまさか国鉄スワローズ専用の中継もあるわけないので、親に聞こうが祖父に聞こうが、跳ね返ってくる言葉は「スゴい人らしいよ」というふわっとした言葉が宙を漂う。当然、実際にみた生の声がこれでは、子の世代も「すごい人だけど、口が悪い人だよ~」と、婉曲というか引退して表に出た、個性的すぎる性格がミックスしてよりイメージが二転三転してしまっている。多分あらゆる言い伝えは、このようにして歪曲なり誇張されたりしたんだろう。かねやんから歴史を知るとは。

 

 

 

というわけで、私なりではあるけれども、金田がどのようにして400勝していったかという、太古の昔に樹立した金字塔、その意外と知られていない変遷を簡単にまとめてみようと思う。間違いとかもあるかもしれないので、そこはご容赦願いたい。また、この記事は新たな情報を入手次第、適宜更新していこうと思うので、何回か流し読みしたら、更に当時のことが鮮明になると思うので、ぜひよろしくお願い致します。

 

 

 

【入団~1年目】

実は金田は17歳で既に入団している。そもそも入団した1950年にドラフト制度などないので、甲子園で負けたタイミングを図って金田を獲得したらしい。

 

 

 

この入団背景には豪運がからんでいて、金田のいた高校(享栄商業)が練習で使っていたグラウンドが、たまたま国鉄が使っているグラウンドだったらしく、折しもこの年に2リーグ制のエキスパンションに国鉄が参加していていたのもあり、ほぼ名前が知られていない金田をいち早く獲得することができたみたいだ。

 

 

 

この年高校2年生として迎えた金田の高校野球は、愛知県大会準決勝で一宮高校に負け、甲子園進出を逃してしまう。しかし、その約1ヶ月の愛媛県松山で行われた広島戦にて、なぜか体が大きい高校生が1人マウンドに立っていた。金田正一、なんと高校2年生・1ヶ月前はおなじ高校生と、汗水たらして深紅の大優勝旗を愛知に持ってかえらんとしていたのに、まさかプロの遠征に帯同して、年の差10は離れた先輩をバックにプロのマウンドに立っているとは。

 

 

 

デビューした年、とある阪神戦にて阪神の主力金田正泰に「あいつの球が速すぎる。投手と捕手の感覚が短いのでは?」といちゃもんをつけられるという、昔の神話のような伝説を残していた。

 

 

 

金田の球は果たして何kmなのかという話題が、プロ野球ファンの間でまことしやかに囁かれる。160kmは出ていたとか、プロ野球史の中で最も速かったとか。金やん自身は180km出ていたと高らかと笑っていて気持ちよかった。あれをマジで言っているという?????な人もいるけども。

 

 

 

自分は145km位じゃないかと思っている。昔の映像をyoutubeなりCSジータスでやっているけれども、江川卓のプロデビューの初球が128kmの速球だったり、江夏豊日本シリーズが135km台のストレートで、40年前のストレートが135~140km辺りが相場ではないかという所。

 


1981 江夏豊 1 日本シリーズ

なまくら過ぎるな・・・

 

 

 

ただ、金田は当時の野球からしたら高すぎる奪三振能力を併せ持っていた。1959年は304イニング投げて313奪三振を記録している。スタミナもエグイが、当時は300イニング投げて200個三振を取れるかどうかという時代で、イニング数を越える、あるいは迫る奪三振数は当時としても異例。奪三振数は投手の球速に比例してくる(江夏・ライアン・クレメンス皆剛速球投手)ので、金田も当時より10kmは速いと考慮して145kmとまぁこんな感じである。

 

 


金田正一のピッチング

(145kmも出てるのか不安になってきた・・・)

(フォームがひどすぎる・・・)

 

 

 

1952年に柚木(ゆき)進というパリーグの投手が、ひっそりと最多奪三振を獲得したのだが、その数はわずかに104個。かたや金田はセリーグで269個も三振をぶんどっているのだ。これは驚異と言える。三振が取れるから球が速いとは限らないと、自分も重々承知してはいるけれども、ここまで当時のトップ同士に差があると、金田の球は別格だと思わざるを得ない。

 

 

兎にも角にも、阪神の主力で後の阪神監督まで登りつめている金田正泰が、マウンドまでの距離が間違っているんじゃないか?という逸話がのこっている時点で、当時の平均的な投手より大分速くなければつじつまが合わないのである。

 

 

 

話が横道にそれてしまったが、1年目の金田は8勝12敗 防御率3.94 164 2/3投げて127与四球というとんでもないノーコンでもあった。しかし、高校2年生がプロ選手に混じって8勝するとは本当に驚きだし、12敗もするまで投げさせるなよ。

 

 

 

【2年目~5年目】

18歳になった2年目からは、更に驚きのピッチングを続けていた。22勝21敗 350イニングを投げて、防御率2.83 実に1488人の打者と対戦していたらしく、これは完全に野球の労働基準法違反だ。甲子園の酷使など目じゃない。だって1488人も対戦しないから。

 

 

 

ついでにその翌年は24勝25敗358イニングである。19歳が358イニング。おまけに24勝したのに負け越し、まさか存命中に同じ24勝して無敗で切り抜ける男が出てくるとはも夢にも思わなかっただろう。

 

 

 

しかし最多投球回ではない。当時まさに全盛期であった巨人の別所が371イニングも投げていたからである。神話には神話。酷使には酷使。とある記述によると、別所は肘・肩の故障に悩まされたことがないらしい。1947年には448 1/3イニング47完投したとか。ある意味野球の神様である。

 

 

 

4年目にもなると23勝13敗 303イニング 2.37と少々野球らしい成績になってくる。金田はやっと野球をし始めた。今までやってたのはクリケットだ。しかし、5年目になるとまた23勝23敗 345 2/3 2.63と、またクリケットに逆もどり。金田はクリケットの方が好きなのかもしれない。

 

 

 

ちなみに、金田は2年目~4年目までのシーズンはいずれも最多奪三振を獲得しており、5年目に逃さなければ、6年連続まで続いていたようだ。だれが止めたかというと、フォークボール生みの親、杉下茂である。395 1/3イニング投げて273奪三振、金田は269個でわずか4個差。まだ杉下は生きているというのも怖くなってくる。

 

 

 

ここまでの金田の成績を振り返ってみると、5年目まで

勝利数・・・8・22・24・23・23 合計100勝

敗戦数・・・12・21・25・13・23 合計94敗

奪三振・・・143・233・269・229・269 合計1143奪三振

イニング・・・164 2/3・350・358・303 2/3・345 2/3 合計1522イニング

 

 

 

5年目までといっても、金田は17歳からプロ生活が始まっているので、21歳までで100勝している。大卒投手はまだキャリアどころか、プロに入れるかすらあやふやなのに、金田は100勝しているのだから恐ろしい。ついでに94敗もしている。

 

 

 

「100勝しても94敗する投手は要らない~」という人も、ちらほら居そうだけど、当時の国鉄が勝率3割ないし調子が良くて4割なので普通に必要です。金田が投げただけで勝率が5割越えるのだから。調べれば調べるほど、この5年の国鉄は強くなくて、二桁本塁打が1人とか、1950年の国鉄のエース格の成田が、2勝13敗 4.47なので想像以上にめちゃくちゃ必要でした。もう1年目からエースです金田は。

 

 

 

創設当時の楽天の勝率が.356なので、あの年の楽天より5分も勝っていない、こんなに酷いチームなかなか無いだろうと高をくくってたんですが、この年、実は広島カープの方が勝っていなくて、なんと勝率.299でした。一流の打者の打率より勝っていないこのチームより酷いチームなんて無いだろ~~~と思ったら、今年(2019年)のMLB デトロイト・タイガースが.292でした。今のメジャーリーグは確実にアブない・・・。ましてやタイガースに金やんはいないし・・・。

 

 

 

【6年目~10年目】

 

 55年~59年までの6年目~10年目が金やんにとっての全盛期といっても過言ではない。55年は29勝しているし(20敗しているが)58年には31勝している(14敗しているが)。加えて防御率は驚異の1.30である。どうやって14敗もしてしまうのだろうか。

 

 

 

また、57年には完全試合も成し遂げている。しかも9回に43分間もの中断があったにも関わらずである。相手の中日が自チームのハーフスイングの判定に納得がいかず、43分も抗議したらしい。そんなにするな。この時代の日本人はみんな血気盛んなんだなと。確かに戦争とか空襲とか経験していたら、気まずい雰囲気とか、空気を読むなんて発想はくだらないだろうなぁと。

 

 

 

金田は試合再開後、チームメイトに「あと6球で終わりや、帰り支度しといてや」と公言するあたり、めちゃくちゃ尖っている。お笑いに芯がある新進気鋭のNSC生みたいな尖り方である。もう金やんは立派な中堅選手だというのに。

 

 

 

「金田の最も偉大な記録は?」という質問は、野球ファンの間で話題にのぼることは多いけれども、私が思うに58年に達成した「64 1/3イニング連続無失点」だと思う。この記録は本当にとんでもない。なぜならMLB記録(59イニング)を優に超えているからだ。オーレル・ハーシュハイザーが更新したこの記録も、海の向こうでは伝説の記録の1つと名高い。現在のNPBも統一球時代を超えて、再びHRも出るようになった。金田のこの記録も安泰といっていいだろう。

 

 

 

58年と言えば、長嶋茂雄がデビュー戦で4打席連続三振したでお馴染みではあるが、長嶋は決して金田を苦手にしているわけでもなく、対戦成績.318・18HRで圧勝していた。金田も「あの小僧、モノになるかもしれない。三振は全部フルスイングだった」と残していた。しかし、よく見るあの長嶋のフルスイング写真は、確かに球が当たったら・・・とも思ったり。

 

 

 

この5年間の成績を振り返ってみると

 

勝利数・・・100・29・25・28・31・21 合計234勝

敗戦数・・・94・20・20・16・14・19 合計183敗

奪三振・・・1143・350・316・306・311・313 合計2739個

イニング・・・1522・400・367 1/3・353・332 1/3・304 1/3 合計3279イニング

 

 

 

 金やん、プロ9年目で既に200勝に到達していた。しかもこの時点で工藤の通算勝利数をらくらく越えていた。工藤はプロ生活29年だというのに。もっと言うと山本昌はプロ30年で219勝である。この時点で現在の通算勝利数歴代13位にランクインする傑出具合はまさに「天皇」ちなみに敗戦数も歴代13位だった。(12位はハマの番長三浦)

 

 

 

もっとスゴいのは奪三振。5年連続300奪三振MLBでもランディ・ジョンソンしか達成したことがない快記録。いや怪記録なのかも。ノーラン・ライアンでも成し遂げていない記録を大昔に金田は樹立していた。この時点での歴代奪三振記録は8位。その下が稲尾で、「9年で稲尾までゴボウ抜きしたのか」と腰を抜かしたが、稲尾も14年しかやっていないので、腰が戻らなくなった。びっくりしすぎは体に悪い。

 

 

 

【総括】

総括というか、半分までしか遡っていないので、いわば「半括」になってしまうのだが、金田は、投球内容が抜けていることに気がついた。サイ・ヤングは時代柄か7000イニング投げておきながら、奪三振数が3000を越えていないし、ノーラン・ライアンは324勝しながら292敗しており、金田より大分勝率が低い。

 

 

 

また、ノーラン・ライアン曰く「若い頃、ベーブ・ルースのHR数とウォルター・ジョンソンの奪三振数は不滅」だとドキュメント番組で語っていたが、まさかライアンが抜く前に日本で抜いている投手が居るとは思わないだろう。レベルの差こそもちろんあるけど、金田の奪三振記録も不滅と言える。そもそも日本で最後に300奪三振を成し遂げたのは、1970年の江夏豊が最後なのだ。それ以降に最も近づいたのが、90・91年野茂英雄の287個だった。

 

 

 

いずれにせよ、まとめている途中に「これってWikipediaの焼き増ししているだけじゃないか・・・???」と自身のブログに対して懐疑の心境がわき起こったけど、まとめている内に自分の中の「昭和の野球」がどのようなものであったか、より鮮明に解像度が増したので、これは良い研究だった。まだ半分しか書いていないが・・・。

 

 

 

後編は、今の所書く予定ではあるけど、いつまでに書き上がるかは未定です。それまで、のんびり金田のことを追い続けていきます。やだ、これじゃ俺ストーカーみたいじゃん・・・。

 

 

 〈これも是非〉

 

 

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シーユーアゲイン なにもあげん

 

 

4勝3敗 天地の差

最近「自分にしては」相撲をみなくなった。



うーんなんでだろうか。実は自分なりに結論は出ていて、答えは多忙の一言に尽きそう。会社が終わるのが6時としても、もうその頃には大相撲中継が終わってしまっている。「関心がなくなった」というより「物理的に見られない」が正しい。こればかりはしょうがない。



関心がなくなった事はないとさっき挙げたばかりだけど、横綱大関勢の不振も個人的にちょっと痛い。関脇以外・平幕優勝のバーゲンセールが乱発している現在、俺だけかもしれないが、優勝の価値が以前より低く感じられるようになった。まるで東証1部の株価のような構図。天皇賜杯兜町にでもあるのだろうか。スーモの相撲株価の乱高下を引き起こしている。



ただ、そんな悪いことばかりではないのかも。以前に比べて格段に下からの突き上げが激しくなった。ジャニーズと似ている。キンプリがTVでぶちかませば、屋台骨の嵐もV6も気合いが入る。以前見たTVで2時間台でフルマラソンを完走するジャニーズが居て「もうそういう選手じゃん」と焼き肉喰いながら徒然思った。ジャニーズで相撲を例えるな。



相撲もこれに通じる。幕下上位が頑張れば、関取は自ずと頑張らなければいけない。陥落したら無給の付け人に逆戻り。戻りたくないから星勘定を金で買ってしまう訳で、10年前の未曾有の悪夢はこのシステムの間隙から引き起こされた。この忌々しい過去に戻りたくない気持ちは、相撲ファンも親方も協会もおそらく一緒だと思う。1世代前には無い、謎の一致団結・相撲道に邁進するそんな姿勢をひしひしと感じる。



でも、見てないながらも今場所「おっ!!!!」という出来事があったので、このブログにちょこっと書いてみようかなって、そういう感じです。



14日目のことだったと思う。この日は土曜日だった事もあり、終日休みが取れてフルで大相撲中継を見ることができた。スーモが言うフルで見たというのは「13時頃の三段目上位」から見たということである。伊達に相撲が好きだからスーモと名乗るだけのことはある。序の口から見ている人たちもいるが・・・



14日目となると、大体の力士が6戦ないし7戦(幕下以下は7番しか相撲を取らない。ほんのたまに8番取る力士もいる)取り終わっていて、出てくる力士は勝ち越し・負け越しが懸かった剣が峰な力士も出てくる。



宝香鵬という力士も今場所はその枠組みの1人で、相撲好きにはけっこう名の通った存在。かなり長いあいだ幕下に居座っていて、かれこれ7年にもなる。ゆえに相撲っぷりは分かんなくても、BSで中継を見ているとかなりの頻度で見かけるのだ。平成元年生まれ。今年で30歳になる。



その力士が勝ち越しをかけて、元幕内の豊響と雌雄を決しようという対決をしていた。どちらも3勝3敗豊響は現在幕下なものの、幕内にいた時は白鵬を押し出したこともある「猛牛」これは歴戦の強者といって良い。



しかし、その1番はあっけなくカタが付いた。立合った瞬間に、宝香鵬が変化をした。「猛牛」と言われている豊響は立合が命と言っても差し支えない。変化に弱い。というより「変化を気にして立合が鈍るのを最も恐れている」という力士だ。変化されたらひとたまりもない。



「今場所2回目の立合変化ですねぇ」とNHKアナウンサーは淡々とした口調から少し、なんというか呆れが少し入っているような、そんな印象が垣間見えた気がした。2回やったという事は、俗に言う「相撲」をしっかり取って勝ったのは2番しかないじゃないか。つまり番付が上がるとはいえ、宝香鵬は2勝5敗と対して変わらない。



勝った宝香鵬はガッツポーズをしていた。多分今後2度と忘れないと思う。あの空しいガッツポーズを。花道に下がる宝香鵬の背中をNHKのカメラは凝視している。それを視聴する俺も凝視した。足取りはなんとまぁ軽い。ショッピングでいい服買った後の女性みたいな。背中にウイングでも生えているのか、というくらい軽かった。力士は足取りの重さが命だというのに。花道を去るときも、嬉しすぎてすり足で帰るくらいであったら良いのに。



かなりむなしかった。自分は宝香鵬でもその親方でもないのに、だいぶこたえた。幕下に上がって7年ということは、幕下に上がった時は23歳で順調そのものだというのに。加えて、宝香鵬はいまだに休場したことがない。



もちろん大きな怪我なくここまで来れたという凄さもあるけど、裏をかえせば「怪我が少ない状態でも幕下」という、ある種の空しさも心に突き抜けてくる。そう言えば腹もけっこうタプタプだ。稽古しているのだろうか。(しているだろうけど)しているのだろうか。あまり「稽古が足りない」なんて、力士の日常をナメた考えをしたくないのだ。幕下でもメチャクチャスゴいのは頭に落としている。

でも・・・それでも・・・・・・



そうこうしている内に、関取の座を懸けて豊昇龍が土俵に上がっている。あの朝青龍の甥として角界の門を叩いたあと、ここまでとんとん拍子な出世を遂げ、今場所で新十両なるかという宝香鵬より遙かに大きな1番に臨んでいる。



先場所も好角家を驚かせていた。先場所も新十両が懸かった場所だったが、3勝4敗で負け越して号泣していたというニュースが報道されていたからだ。



20歳の豊昇龍が幕下上位にいるだけでも快挙だというのに、昇進できずに泣いている。そんな朝青龍の血が濃く入っているエピソードに好角家はびっくりしていた。もうそれだけのエピソードだけで将来は大関横綱が見えてくると分からせるくらいに。



果たして。立合弓矢のように十両の彩(いろどり)に突き刺さったあと、右下手を深くねじ込み、叔父を彷彿とさせる豪快かつセンス感じる下手投げで新十両を勝ち獲った。所要11場所。相撲経験ないというのに2年足らずで関取になるとは。

www.youtube.com


「幕下上位・3勝3敗・相手十両
数多ある相撲の中で、最も変化が出やすいシチュエーションの一つだと言える。関取になれば、個室も付け人も無給と大して変わらない生活とオサラバできる。1場所でその狭き門を通りぬけられるのは、僅か3・4人という少なさ。おまけに戦う力士が全員十両に居てもおかしくない猛者ぞろい。1番でも勝ち星を拾うために変化したくなる。



そんな人生を左右する大一番に、あれだけ厳しく彩に突き刺される豊昇龍の勝負度胸は目を見張るものがある。まだ体重は120kgほどで、他のどの力士よりも、のびしろをたっぷり残している。本当に朝青龍のあとを継ぐことができるかもしれない。



宝香鵬・豊昇龍ともに4勝3敗で一点の勝ち越し。星取表だけを見たらその違いを判別することはできない。けど、その細部をまじまじと焼き付けてみると、明らかで圧倒的な違いが垣間見える。「3年先の稽古」とは角界で使い古された金言だけれども、こういう所をみてきたから、みんな口すっぱく言っているんだろうな。



という、そんな話でした。ではでは、ハッキヨイ次の更新でまた会いましょう。






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キングは死なず ただ帰還するのみ

俺は、松井秀喜が好きだ。

 
 
そりゃそうだ。まぁパワーが売りの海の向こう、俗にいうベースボールで、スピードやディフェンスではなくパワーでバチコン勝負するのだから。こんな正攻法な戦いをされたらそれはまぁ日本でも国民栄誉賞でも獲れるわけである。
 
 
 
しかし手首の骨折以降、松井の持ち味の1つであった確実性に衰えの兆しが見え、4打数0安打ないし5打数0安打の試合が徐々に増えてきた。本塁打を重ねられるのは松井の長所でもあり、当時の日本球界においては壮大なロマンでもあった。自分はどの投手から松井はHRを打てるのかと、当時出始めたボタンでパカっと開くガラケーで予想するのを日課としていた。ついでに言うと、イチローの予想は全くしていなかった。そんなことしなくても勝手に打つからである。恐るべき信頼感。打つことが当たり前という歪みきった常識に、当時は何ら疑問を抱いていなかった。
 
 
 
そんなイチローと松井が相まみえる マリナーズヤンキースのカードは、アメリカの反対な極東で屈指の黄金カードとして、NHKBSのバカでかい「料金払い込みに関するお願い」のテロップが遮るTV画面で繰り広げられていた。もちろん全く払わなかった。みんなそうだろう?????
 
 
 
さて、前述した「打てるかガラケーで予想する」件についてだが、圧倒的に松井が何も出来なかった投手が(かなり主観的ではあるが)2人居た。1人が「練習できない球を打てる訳が無い」と舌を巻いたレッドソックスナックルボーラーウェイクフィールド。れっきとした200勝投手だ。そしてもう1人がマリナーズのキングことフェリックス・ヘルナンデスである。
 

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「キング」
 
 
 
自分がMLBを観る前ずっと前からそう言われていたらしい。「イチローの後を継ぐマリナーズの顔」だとも当時は知らなかった。若い。20幾らの若手ではないか。日本だと大学生くらいの年齢だ。まさか、そんな若手を駆り出さなきゃいけない程、マリナーズは弱いのか?いや、いくらスポーツニュースの速報でも察することが出来る弱さと言っても・・・。何故松井が打てないのか。松井の衰えは思った以上に早く来ているのか・・・?
 
 
 
俺が「キング」を本当の意味で知ったのは、松井が引退宣言した位の頃である。
 
 
 
面を喰らうというのは、こういう事を言うんだなと思った。150kmオーバーの快速球が寸分の狂いもなくミットに収まる。しかもそれがクネクネとアウトロー・インローにフロントないしバックドアでギリギリに収まる。打たせて良し・抑えて良し。周りのマリナーズファンは、応援が珍しいと言われる海の向こうの野球で、キングの奪三振を「K」のボードを持ちながら狂喜乱舞している。いつでも三振に切って取れる変幻自在な投手。これこそコンプリートプレーヤー。プロ野球の常識色濃く残る俺の脳裏にインパクトを残すに十分過ぎる投手だった。
 
 
 
 
 
 
「世界は広い。松井が空を切りまくる訳だ。こんな投手が居るのか」と、借り上げたアパートの一室で、まさに茫然自失と言わんばかり天を見上げる俺は碇シンジ。そんなスーモを尻目に解説者がボソっととんでもないことをつぶやいた。
「これでも大分遅くなりましたよね」
 
 
 
マジかよ。うっっっそでしょ。いやいやいや。確かにコーナーにバシバシ決めているのを見たら「king」というより「machine」じゃねぇか、なんてうっすら思っとったけども(ここでyoutubeスマホで開き数年前の動画を見る)
 
 
 
うわ~~~~~~キングだわ~~~~~
そこには今よりもっと前に100マイル(160km)に迫ろうかという勢いで、「これが若さか・・・」と殴られたシャア。いやクアトロ・バジーナはそう言うだろう。きっぷのいい、力任せに投げているキングが居た。力自慢の地元のツレが、腕の力で第1ピンなんか考えずに投げ込まれるボウリングみたいな、傲慢な躍動感がそこに映っていた。データを見ても数年前より2・3マイル落ちているらしい。
 
 
 
でも、最も腰を抜かした場面はここでは無かった。この後投げられた変化球こそ本命であった。左打者のアウトローにするりと逃げていく89マイルのチェンジアップ。これだ。これなんだよ。これが「キング」が世界最高峰のマウンドで「king」として君臨できる最強の武器なのだ。
 
 
 
腰抜かすのも無理は無い。このチェンジアップは143km(89マイル)も出ているのだ。チェンジアップはタイミングを外す代表的な変化球だ。130kmも出たらかなり速い。杉内だって120km半ばが当たり前、そんな球種だろう???そんなタイミングをずらす気など微塵もないチェンジアップがあっていいのか?????
 
 
 
まさに居る所が全く違う投手だった。他の投手は85マイル近辺(137kmくらい)で、これでもめちゃくちゃはえーなと感心しきりだったのに、そこから約7kmも速い高速チェンジアップを操れたのは、当時はキングただ1人だった。野球の常識が一気にすげ変わった瞬間だった。
 
 
 
それから月日は経ち、エヴァンゲリオンの設定も、バックトゥザフューチャー2の舞台もカブスの世界一も過ぎ去り、AKIRAのヌルヌルした映画渦巻く、そんな近未来がちらつく2019年
 
 
 
あれから幾年月が過ぎた。140km台のチェンジアップは他の投手もバシバシ扱える量産品と化した。
「もう時代は150km(93マイル)のスライダーだよ」と髪を切ってサッパリしたメッツのデグロム。
「いや、時代は104km(65マイル)のカーブだろ」とグレインキーの投球術はますますキレ味を帯びていく
「おいおい、結局は高めの155km(97マイル)のまっすぐでなぎ倒すに限る」と引退の縁から復活したバーランダーの鼻息は荒い。
 
 
 
そんなライバル達の横で、男は新たなる旅立ちを決意しようとしている。消化試合で盛り上がりに欠けた内野席全体を埋める黄色い「K」の文字。それを一心に背で受ける背番号34 フェリックス・ヘルナンデス。マリナーズ最後の登板が始まった。
 

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ここまで慕われるのはかなり珍しい・・・

 
 
もう、ストレートなんか90マイル(145km)がせいぜい。全盛期のチェンジアップが今のストレートになっていた。もうキングが制御できる球速の臨界点を超えていた。欠点が何一つも無かった正攻法なピッチングも、時が経つにつれてカーブで目線をずらさずを得なくなり、そのカーブすら打たれていた。まだ33歳。3歳年上のバーランダーは今が全盛期というのに、ドジャースのリッチ・ヒルに至っては、独立リーグで四苦八苦して、MLBなんて遠すぎて見えないというのに何と残酷な構図だ。
 
 
 
マリナーズファン曰く、キングは慢性的な足の痛みを抱えていたらしい。2016年、チームがプレーオフまで肉薄していた時に無理を押して投げ続けた代償だという説もある。今季は右肩の痛みで長期離脱をしていた。今季1勝8敗防御率6.50 あらゆる面で限界が来ているようだった。
 
 
 
ヘルナンデスは、どんな時でも悪く言わない選手だった。今季も早くから優勝争いから脱落して、一塁しか守ったことがないエンカーナシオンが人生初2塁手としてプレーしてたりしても、ヘルナンデスは「このチームを信じている~」とか「ベストを尽くせば結果は出る~」的な事を言い続けていた。肩を怪我しても「大した問題じゃない」の一点張りだった。実際は長期離脱しているのに。俺はそれを聞き、「んなわけないだろ」とちょっと笑ったりしていた。
 
 
 
でも、人気の源はそこなのかもしれない。15年間居るアメリカでは珍しいフランチャイズプレーヤーも、キングの為に黄色い服を着て全員一丸となって、チームではなくその選手に対して応援するのはヘルナンデスしかいない。ヤンキースのジャッジだって、ヘルナンデスのような存在感を出しているのに、与えられたのは、右中間近くにある専用シート30席ないし40席だけである。あれだけのムーブメントが起こるのは本当に稀なのだ。

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(左奥の席入りづらそう・・・)
 
 
ヘルナンデスは、「まだ」というより「もちろん」現役続行の意思を既に表明している。33歳まだ老け込む年ではない。「キングは死なず ただ去るのみ」 なんてマッカーサーのような言葉は似合わない。野球スキルという面では何年も前から世界最高レベルなのだ。彼の復活した姿はマリナーズファンだけの話ではない。日本の数少ないMLBファン、全世界の野球ファンの願いでもあるのだ。
 
 
 
ファンがやるべき事はただ1つ、来年のヘルナンデスがどのチームで投げようと、そのスタジアムで「K」のボードを取り出して、「キング」の投球を見守るそれだけなのだ。
 
 
 
 
 
 
シーユーアゲイン なにもあげん