インドのピラニア

野球・相撲 時々その他 自由きままに書く インドのピラニアのように

あまり知られていない キモすぎる野球のシーズン成績をまとめてみた その3

ご無沙汰しております!スーモでーす!

 

 

いつもブログの記事を拝読して頂いて幸いです。特に野球の記事の方を読んでいただいているみたいで、私のブログ更新のモチベーションにもなっています。

 

 

 

今回は「キモ記録」シリーズ第3弾です。野球の底の奥深くに沈んだ怪記録を、単身探査機に乗り込んで、水圧と戦いながら紹介するこのシリーズ。なので帰還後は水圧で機体がミシミシ言ってしまうので、しょっちゅう更新出来ないのは申し訳ございません。自分のペースで頑張っていきます。

 

 

 

今年は今年で、短縮シーズンだからこその記録がわんさか出てきそうで楽しみですね。パ・リーグで柳田・吉田・近藤が、一体どれだけキモい記録を残してくるか楽しみです。

 

 

 

それでは早速行ってみましょうか!!

 

 

松井 秀喜 (2004) .298 31HR 108打点

 

f:id:mochan9393:20201013172728j:plain

 

 

松井秀喜という、日本が生み出したあのゴジラのような怪物を、どういう選手なのかと適正な目で判断するというのは、野球における最も難しい事柄の1つと言える。

 

 

バックには長嶋茂雄という、日本の象徴の後継者として、手取り足取り指導されてきたという黄金の道を通り、その高すぎる期待に応え続けた。

 

 

その結果当時の国民的な人気を勝ち取り、2003年以降、つまり松井がアメリカに行ってからは、野球の地上波放送は軒並み数字を落とし、野球はお茶の間から姿を消していく。バック・トゥ・ザ・フューチャーで、主人公の家族写真が、兄貴の頭部だけ消えていくような感じで。

 

 

ダウンタウンM-1の紹介時に、「お笑いはダウンタウン以前と以後に分けられる」と紹介されるが、野球の「以前と以後」を分けるとするならば、それは松井秀喜なのでは?と私は考えている。

 

 

当時が思春期だった者としたら、松井が日本から居なくなった時の、野球の熱がスーッと引いていく、あのぼんやりとした不安を忘れることなど出来ない。今や「野球中継の為に放送を延長する」なんてことは、VHSや思春期を湧かせたフラッシュ倉庫の如く、文化のトマソンとして葬られてしまった。

 

 

イチローとの関係性も、松井秀喜という人物をぼやけさせる大きな要素と言える。

 

 

世紀末から21世紀初頭を代表する野球選手と謳っても誰も文句を言わないであろう2人。そして、別に仲が悪い訳でもないだろうそんな2人なのだが、往々にしてメディア媒体は不仲論を唱える。

 

 

しょうがない。あちらとて生活が懸かっているのだ。対立を煽った方がview数は伸びるに決まっている。生活の為なら人は簡単に鬼になれるのだ。

 

 

日本時代のイチローは一言で言えば尖っていた。それも半端じゃない尖り方である。まっすぐにメディアに答えることはない。ヒーローインタビューで「大相撲観に行きましょう」なんか言う人である。日本晩年のイチローを嫌っていた人は数えきれない程居たのも事実である。

 

 

それに比べたら、常にウィットに富んだ記者対応と、AVが好きで1000本は集めていると躊躇なく言える松井の方が人気が出るのは何の不思議でもなかった。しかし冷静に考えると松井の方が変人なのだが・・・。

 

 

よって、メディアの方も松井を持ち上げる記事が、ネット太平洋に不法投棄されるようになってしまった。その異常さを察知して過剰防衛するアンチも出てきた。ゴジラの事を色眼鏡で見る人も多くなった。「松井はMLBで一流だったのか??」と疑いの目を書ける人は、正直言って少なくないだろう。

 

 

だが、ここは私が断言しよう。松井秀喜MLBであっても一流だったし、ヤンキースにとって欠かすことが出来ない選手であったということを。

 

 

特に2004年はアンタッチャブルなシーズンといって良いのではないか。31HRは未だに日本人野手としてはダントツの数字で、20HRも大谷以外には達成していない。まぁ大谷が投手もやりながらなので、勿論一概には言えないけれども。

 

 

松井の成績の突筆さは、他のメジャーリーガーと比べると分かりやすい。

 

 

この年のHR数はア・リーグ11位で、ヤンキース内では3位。しっかりクリーンナップに恥じない成績をあげておきながら、打率はジーターより高く、打点に至ってはAロッド・ボンズよりも稼いでいる。

 

 

その下には、カルロス・デルカドやデレク・リーなど大物が連ねる。これらの大物はきちんとMLBを観ていないと、どれほどの猛者なのか皆目もつかない。米成績を適切に査定するには、アメリカの選手がどれ程のレベルなのかを、しっかり勉強することから始めるべきである。

 

 

勿論、打点というのは打順や運も絡む指標だから、手放しで称賛できる指標とはいえないが、とはいえフロックな実力でボンズを抜けるなら、これほど楽な商売ではない。

 

 

これにワールドシリーズMVPである。松井が獲った2009年以降、ヤンキースはワールドチャンピオンになれていない。10年単位で見ると、ヤンキースは初めて2010年代はチャンピオンになれなかったらしい。

 

 

松井がアメリカで残した足跡は、日本同様にゴジラのように大きな足跡だった。この事が分かってくれたら幸いである。

 

 

 

浅尾 拓也 (2011) 7勝 2敗 10セーブ 45HP 防御率 0.41

 

f:id:mochan9393:20201013173043j:plain

 

 

 

10年ひと昔とはよく言ったものである。そして10年前といってもつい昨日のように、思い出が蘇ってくる。10年前の出来事と言えば、地デジに地震にトラスト・ミーである。口蹄疫にガソリン減税・燃油サーチャージも今や死語になった。死語になって良かった。

 

 

そして忘れちゃいけないのが、恐るべき投手至上社会を生み出した統一球である。

 

 

筆者にとっては最近の事でも、一世代年下の2000年代のミレニアム世代からすれば、その脳裏にしかと焼きつけた景色が、ほんのりノスタルジックなセピアが架かる。そんな古の記憶だったりする。だからこそ、この成績を今のうちにしっかりと書かなくてはいけないだろう。

 

 

 

野球界を襲った打撃氷河期は、打者のスイングをみるみるコンパクトに縮こませ、2点差7回の裏という、どう転ぶか分からない展開をゲームセットの合図と捉え、颯爽と野球ファンをお風呂に浸からせてしまったのである。そして、その野球に辟易とした筆者は、MLBへ乗り換えを決めてしまった。

 

 

そんな荒廃した凍える野球界に咲いた一輪の怪記録が、この浅尾の防御率0.41である。

 

 

そもそも、その前の年が21世紀を代表とする打高シーズンであるにも関わらず、日本記録である47HPを稼いだ身からしたら、この年の怪記録は、ある意味約束されたものだったのかもしれない。

 

 

平均球速149kmはこの当時のMLBの平均球速を越えていたし、それにお誂え向きの高速フォークと来たもんだ。ただでさえ、球が死ぬほど飛ばない環境下だというのに、1人だけメジャーリーガーの球を投げられて、おまけに並のレベルではないイケメンと、死に体の陰キャラにたたみかけて来るので、存在自体が反則ですわこれは。

 

 

そして、統一球時代の野球は、ヒットを4本打たないと点なんぞ入らない。2塁に来た時点で、外野手がめちゃくちゃな前進守備をかましてくるからだ。ほぼ確実に3塁で止まる。「阪神は○○イニングタイムリーが打てていませんね~」と、解説者から聞こえてくるのが、スポーツニュースの常套句と化した。

 

 

この年の中日は、お世辞にもいいチームだとは思わなかった。長年落合を支え続けた選手達が軒並みベテランもベテランになり、そのベテランを若手が越えられないという悪循環に陥っていた。あの鉄腕岩瀬にもサビが見え隠れしていたし、それを影ながら支えた高橋聡文は、去年の連投で真っ白に燃え尽きていた。ただ強いチームではあった。

 

 

そんな絶体絶命な中、勝つためには浅尾の負荷を上げるしか無い。79登板して、イニング数が87 1/3ということは、1登板で1イニング以上投げている計算になる。しかし、その数字をみて寧ろ「あれっ、そんなもんだったかな・・・」と懐疑的な目でみるほど、浅尾は投げまくっていた。8回から9回2アウトまで投げているシーンが色濃く残っているからである。

 

 

岩瀬も投げてはいたが、56試合で48 2/3なので、浅尾の交代後1アウトだけ、2アウトだけ取るような試合が常態化していた。落合監督は、ストッパーには据えることで岩瀬のプライドを保ちつつ、試合の行方は浅尾に委ねるという戦法で、奇跡のリーグの優勝を成し遂げた。日本シリーズをあの手この手でソフトバンクを苦しめにかかる様は、正しく鬼もドン引く鬼監督だった。この年の落合以降、これほどの厳しさを見せた監督は出てこないだろうし、時代的にも許しては貰えないかもしれない。

 

 

そして、細身の体をはち切れんばかりに投げる、浅尾の体に限界が来ていることは、どの野球ファンからみても"やっぱり"だった。翌年から球は走らなくなり、WBCに参加することができなかった。その当時の記事に"原因不明"のストレート減速*1という記事があって、「冗談きついな」とは思った。

 

 

 

野球ファンで、ましてやプロ野球選手なんか夢のまた夢な筆者からしたら、明らかに壊れるペースで投げ続けるのが、果たしてその投手の為になるのか、本望なのだろうか。その点については知るよしはないが、そういう生き方もありなのだろうと、浅尾から学んだことは疑いようがない。

 

 

ボブ・ギブソン(1968) 23勝 9敗 防御率1.12

 

f:id:mochan9393:20201013173309j:plain

 

 

 

つい最近、アメリカで一時代を築いた名投手が、また1人旅立ってしまった。ボブ・ギブソンアメリカを代表する剛球投手である。

 

 

「逆に弱かったシーズンなんかあったっけ??」と思える位、ずっと強豪チームのままなカージナルスだが、この60年代は一段と強かったみたいで、後の300勝投手のスティーブ・カールトンルー・ブロックヤンキースで61HRを放ち一躍時の人となったロジャー・マリスなどが居た。

 

 

日本では、このギブソンよりも、major違いのジョー・ギブソンの方が有名だろう。明らかにボブ・ギブソンから取ったであろうキャラで、どちらも勝つためならビンボールも厭わない。性格がかなりトゲがあるので、一応調べてみた結果、ランディ・ジョンソンがモデルだったらしい。なんでだよ。

 

 

そんなあまり日本では馴染みの無い大投手だが、彼の残した記録で語りぐさになっているのが、1968年の防御率1.12である。

 

 

この年は、前述した浅尾の時と同じく、MLB屈指の投手有利な年だったらしい。何せ、防御率1点台が両リーグで7人も居て、2点台に至っては49人も居るのだ。そして3割打者は両リーグで6人しか居ない。こんな「右手に盾を左手に剣を」のようなシーズンがあった訳だが、首位打者ピート・ローズで軽く200安打を達成していたりする。役者が違い過ぎた。

 

 

 

そんな1点台乱立の乗るしかねぇビックウェーブに、この上も無くサーフィンして見せた伝説の男ギブソン。34回先発して28回完投。そのうち13回が完封、そして挑んだワールドシリーズで17奪三振なのだから、完璧すぎて最早そっちの方がキモ記録なのではないかという"ゆらぎ"もあるが、これでワールドチャンピオンになれなかったので、つくづく野球は難しいものである。

 

 

この年のギブソンの残した成績に、コミッショナーは腰を上げた。この年以降マウンドの高さは15インチ→10インチに変更になり、打者有利になるように仕向けたようで、翌69年は1点台の選手は居なかった。これが今日まで変更されていないらしい。しかし、2点台は24人も居るので、依然として投高打低だし、ギブソンはしっかり2.18と纏めているので流石である。

 

 

しかし、ギブソンだけが1流ではない。69年のピート・ローズも200安打と首位打者を根こそぎ獲得している。この世代はキモ記録が満載らしい。そしてもう1人ルイス・ティアントというもう1人のキモ記録保持者が居たのだが、それはまた今度示すとしよう。

 

 


MLB ボブ・ギブソン シーズン防御率1 12

 

 

ボー・ジャクソン(1989) .256 32HR 105打点

 

f:id:mochan9393:20201013173408j:plain



 

「天才は居る。悔しいが。」という競馬の広告が少し前に世に流れていた。

 

 

確か三冠馬の紹介かなんかで使われいたような気がする。本当に悔しいね。DNAにトレーニングなんぞ出来るわけもないから、てめぇの限界値を薄々感づいてしまう。それに気付いてしまった時が、この世で最も残酷な事実である。それを知り、尚も這い上がるのは並みの事ではない。

 

 

スポーツの世界では、より顕著に見られる。練習ではとてもじゃないが追い付けない傑物は掃いて捨てるほど居る。ましてやアメリカ。21世紀における究極のピラミッドに、人は酔いしれ苦虫を噛み潰す。

 

 

その才能のピラミッドの頂点に居るであろう選手が、これから紹介するボー・ジャクソンである。彼は2刀流で名を馳せた最初のスポーツマンである。ただ、彼の2刀流は大谷と一線を画する。

 

 

彼が二股をかけたのは、アメリカンフットボール。つまり野球とアメフトの2刀流だったのだ。恐るべきことに、そのどちらでもオールスターに出場したというスーパーアスリートである。

 

 

特に存在感を醸し出したのが1989年のシーズン。この年のジャクソンは、2刀流という環境下でありながら、HR数はAL4位。3位にはあのマグワイアが構え、盗塁数は26個と30-30にニアミスな成績を叩き出し、オールスターに1位で選出されMVPを獲得。ついでにHR競争で優勝し、シーズンオフにはアメフトのラインバックとして出場。翌年の2月のプロボウルに出場してしまうという離れ業を成し遂げた。

 

 

 

ジャクソンの野球は、洗練という言葉とはほど遠い。彼ほどの天衣無縫な選手は居ない。明らかに力だけで振り抜いた打球は、ふらふらと上がりながらバックスクリーンの奥に突き刺さっているし、明らかな手投げで投げられた送球は、100m先の盗塁王をホームで刺す程のバカ肩である。実際、89年の三振数は172個で、知る人ぞ知る三振王ロブ・ディアーを差し置いての三振王だったりする。

 

 

 


Bo Jackson Being Unbelievably Athletic

 

 

マイケル・ジョーダンも、一時野球選手としてホワイトソックスでプレーしていた時期がある。でも、いくら神とは言えどそれはバスケだけの話で、2A止まりだったことを考えると、改めて恐ろしい選手である。まぁそんなことを書かなくても凄いことなんか分かってしまうが。

 

 

NFLでの記録は、私があまり詳しくないため、上手くボー・ジャクソンの偉業について記載するのは難しいが、兎に角NFLの公式チャンネルで「最も速い選手ランキング」で歴代5位になる位には速いみたいである。じゃあもうNFL選手としての方がスゴイのでは???と思っちゃう位にはスゴイ選手である。

 

 


#5 Bo Jackson | Top 10: Fastest Players | NFL Films

 

 

まぁ筆者からしたら、ボー・ジャクソンの印象としたら、2刀流よりも”5-hour energy”の人である。数年前MLBの公式サイトで動画を弄ったら、絶対ボー・ジャクソンのCMが15秒挟まっていて、ファミマの帝京平成大学くらいしょっちゅう見るハメになってしまった。

 

 


Bo Jackson 5 Hour Energy Commercial

 

 

wikiに「最近は妻と自宅でひっそりと暮らしており、派手な生活を嫌っている」と書いてあったのに、CM見た後だと全くの大ウソじゃねぇか。とツッコまざるを得ない。しかし、アメリカでのイメージではボー・ジャクソンのイメージとしたら「Bo knows」のナイキのCMなので、もうボーの印象はぐちゃぐちゃである。

 

 


Bo Knows Commercial

 

 

謙虚な選手なのかと思いきや、実は意外と最近も目立っていたりする。本当の意味でボー・ジャクソンの事を知っている人は、誰も居ない。

 

 

 

 

以上今回はこの4成績について調査してみました。これからもこのシリーズを続けていこうと思いますので、読んで頂けるととても嬉しいです。よろしくお願い致します。

 

 

 

 

<こちらも是非>

 

mochan9393.hatenablog.jp

 

 

 

 

mochan9393.hatenablog.jp

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

シーユーアゲイン なにもあげん