インドのピラニア

野球・相撲 時々その他 自由きままに書く インドのピラニアのように

輪湖時代よ、永遠なれ。

いきなり変なことを言うが、やっぱり相撲はめちゃ面白い。



大きな事件の直後の場所は、果たして相撲の熱気という物はどうなるのかと、第一志望の大学の合格発表のようにソワソワしてしまうが、幸いにもその心配は杞憂に終わり続けている。八百長直後はとんでもなく客入りが無かったが、その時の詳細はまた今度まとめるとしよう。



今回も(大相撲9月場所)一連の「貴の乱」こそあれど、いざ場所が始まってみれば、国技館の空気にそういった雑味が入ってくる事無く、相撲の1番1番に固唾を呑んで見守っている。そして取組が終われば、数秒後に万雷の拍手か、どよどよとした空気が流れる。(大概、立合で変化したときに起こる)観客の審判は実に正直なのだ。



その大相撲の最大の醍醐味と言えば、横綱同士のがっぷり四つに他ならない。このプレミアカードが開始1秒の変化や、数秒で突き落としとなってしまえば、やはりその場所の後味は悪くなってしまう。かといって八百長も見たくない。そこはがっつり力勝負でしょう!それもガチの!!という簡単そう難しい、宮沢賢治の世界観のような文豪の注文には、そう簡単に出会える訳ではないのだ。



しかし、この難しい注文を毎場所のようにきちっとNHKの電波にのっけて御家庭にお届けしている時代があった。



それが、第54代横綱 輪島と55代横綱 北の湖が繰り広げた「輪湖時代」である。
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昭和49年頃~昭和56年の初場所まで続いたこのヒートアップは、相撲史上に残る熱気を生み出し、あらゆる人を相撲ファンへと誘い続けてきた。やくみつる や、世を忍ぶ仮の姿のデーモン木暮、そして、巡業先で北の湖の着替えをのぞき見してキャッキャしてたスーモの母である。俺の母親はまさかの北の湖ファンだった。そして貴ノ花アンチだった。これは、それこそ「好きな食べ物で『ピーマン』と答える小学生」くらい珍しいことだし、「巨人の江川が好き」と答える野球ファン位貴重なのだ。江川・ピーマン・北の湖である。「北の湖はね、それはもうお尻が大きくて白くて、こんなキレイなお相撲さん居るんだと思った」と、毎日のように俺に言い伝えていた影響からか、自分でも信じられないくらいのめり込んでしまい。大学の論文テーマを双葉山にする程影響をうけてしまった。趣味が行き過ぎてしまったし、何故か分からないが北の湖を題材にしていなかった。この話も今度ブログでするかもしれない。



相撲見始めてからというもの、俺は当時出来たてのyoutubeで過去の映像を探しに探し、「ようつべ」と間違えてひらがなだけで検索してエロサイト突入したりしながらも、もう舐めるんじゃねぇかという勢いで探しまくった。その探し回って居た時代で最も印象に残った1番が、輪島が横綱に上がる直前の北の湖を、本割・優勝決定戦共に「下手投げ」で仕留める1番だ。
youtu.be



この2番を機に輪島に「黄金の左」というあだ名が付くようになる。「黄金の○○」は相撲が初出なのだ。中村俊輔が元祖ではないのだ。かといって輪島が元祖でもない気がする。が、そんなのは調べたら分かるとして、兎に角、相撲を10年以上見続けた筆者からみれば、輪島の取り口は大分独創的だ。基本的に「下手投げ」を軸にする戦法は、相撲において明らかに得策ではない。何故なら「上手投げと下手投げの打ち合いになったら、ほぼ上手投げが勝つ」からだ。



何故上手投げの方が強いのかというのは、確固たる理由があるのだが、それを説明すると読者の頭の中が、関取の稽古時のまわしのようにまっ白になるので、詳細は伏せる。しかし、相撲という競技では、上手投げの方が明らかに強いのである。よって力士はほぼ99%、下手投げを打つ前に、まず上手を取って寄りに出ることから習い始める。下手投げを打つときは、ほぼ相手が出てきた勢いを逆利用するので、言ってしまえば「防戦一方」でなければ出ない技なのだ。「下手からの芸は大成しない」と好角家の間で言われ続けるのもこの為だ。



この相撲の基礎とは大きく離れた技を、輪島は相撲がプロ化された1700年代後半から、現在に至るまでのおよそ300年で最も「下手を極めた」力士だった。正しく天才である。加えて、学生横綱からプロの横綱になったのも輪島ただ1人である。入る前から天才で、しかも大学時代は普通に正攻法で下手
投げは使っていなかったらしい。



輪島の相撲スタイルとはこうだ。立合で左下手を握った後に、半身になって相手の動向を伺う。普通なら半身の時点でもう不利なのだが、輪島の場合は、これがベストである。そして、右腕でおっつけ(相手の肘辺りを持って、腕を押し上げる技。相撲の基本的な技)相手の体を起こした後に、間髪入れず下手投げを放つ。この戦法を軸に、輪島は14回もの幕内優勝を手にしてきた。



紹介した映像はまさに北の湖が出てきた所を仕留められているので、完全に輪島の手の上で踊らされてしまっている。これを機に、北の湖は輪島戦ではむやみに前に出るような事をせず、輪島のスタミナが切れるまで徹底的に守りを固める戦法にモデルチェンジを行った。折しも輪島は北の湖の5歳年上なので、持久戦に持ち込めば北の湖の思うツボである。



スタミナ切れを狙う北の湖、それを避けて早期決着でケリを付けたい輪島



完全に両者の思惑が相反した故に、この戦いはメチャクチャ長引くし、ずっと面白い。大体が1分を超えてしまう。水入りという相撲が長くなった場合にのみ使用される休憩時間があるのだが、輪島-北の湖ではそのくらい長引く事が多々あった。最近だと照ノ富士-逸ノ城戦で2度あったのも懐かしいが、俺にしか分からないのもなんだか空しい。そして照ノ富士は何故か幕下まで落ちていた。
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この2人に加えて、先代の貴ノ花が居たのだから、相当場所は盛り上がったんだろうな。幾ら俺が思いを馳せても、もうこの時代に戻ることができない。



そして、先日とうとう輪島が亡くなったらしい。70歳。もう北の湖貴ノ花も鬼籍に入ってしまったので、とうとうこの時代の中心の生き証人は居なくなってしまった。短命すぎる点が力士の弱点だなといやが上にも実感させられる。20歳の時のインタビューで、北の湖は「今年の目標は酒を『やめる』こと」とアナウンサーに答えていたらしい。力士なのにアメリカ人のトンチを使いやがる。そりゃ早く死んでしまうな。貴ノ花もヘビースモーカーで太ることが出来ずに、それを千代の富士にアドバイスしたら、スッパリ禁煙して横綱になり、同じ時代の名関脇、栃赤城にもしてみたら、「禁煙して横綱だったら、煙草を吸いまくっての幕内の方が良い」と答えた「どっちも気持ちよくて好きな」エピソードもある。



この3人が昭和の古き良き時代に、文字通り、魂と命を削って生み出した相撲の熱気を、40年後の現代でも絶やすこと無く土俵で見られたらなと思っています。不穏な事件があっても、ファイト!大相撲!! ファイト!横綱!!!!












あの、こんな追悼記事なのに、どうしてもオチで言いたいのですが、



輪島、「年寄 花籠 の名跡を担保にお金を借りていた」ってやばすぎません??



んでもって、もし銀行屋も「さ~花籠の名跡もらったぞ~~~」ってなったとしても、どう運用していくのだろうか???



一歩間違えたら、みずほ銀行が「花籠」を持っていたと想像すると、もう相撲がどこからどこまでを指すのか分からなくなりますね。



「花籠の名跡をATMで引き出そうとしたら、定期休業日で下ろせない輪島の図」



4コママンガ化待ってます。



シーユーアゲイン 何もあげん