インドのピラニア

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【緊急企画】金田正一は如何にして400勝したか辿ってみよう(前編)

ラグビーWカップと台風でざわめく日本。しかしスポーツの世界にはあらゆる記録が存在する。

 

 

 

100m・200m・400m短距離走のコンマ1秒を争うものもあれば、ハンマー投げ砲丸投げのように投げた距離をメートルないしセンチで測る記録もある。それ以外にも室伏広治みたいに日本選手権20連覇のような、1位になった回数あるいは連続記録なんかも、記録としてあてはまる。

 

 

 

当然、野球にも記録はあるし、なんなら「記録のスポーツだぞ!!!!!!」と声を文字通り大に公言してもいい。打率・HR・打点の3冠をはじめとして、盗塁・盗塁死・出塁率・守備率・得点圏打率もあれば、WHIP・BABIP・BB/K・FIPのように、素人を置き去りにするかのような指標の数々はまるで株式市場だ。あまりの指標の多さに、あまたの数学自慢や統計学者が、熱心に野球を数学的観念からひもとこうとしている。たかがスポーツなのに、いや、されどスポーツなのか。

 

 

 

そんな記録の中に、地球上のあらゆる学者がその不可思議な数字に首をひねったり、印刷ミスではないかと資料を凝視する。そんな不滅な記録がある。

 

 

 

金田 正一の通算400勝である。

 

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「しょういち」ではなく「まさいち」と読む、独特な読み方をするのでよく間違えられる。先日故人になってしまったが、間違いなく日本がほこる大投手である。なぜそう言い切れるのか。

 

 

 

天皇

彼のことを「尊敬」と「皮肉」を込めてそう呼ばれている。監督を監督していると言われるほど、試合では勝手にいい場面になると変わるし、それが元で通算0勝でキャリアを終えてしまった選手もいるとか。おかげで、あまり良いように言わない人も居る。「勝ち星をヌッスした」とか「298敗している」とか。ヌッスという日本語が聞き慣れなさすぎる。

 

 

 

400勝298敗という、チーム数年間の成績じゃないかと見紛うほどの飛び抜けた記録。でも金田のことを知っているという人は本当に少ないだろう。金田が注目されたのは65年~69年の巨人に移籍してからと、58年に長嶋茂雄のデビュー戦で、4打席4三振に切って取った一瞬のみ。

 

 

 

国鉄時代にまさか国鉄スワローズ専用の中継もあるわけないので、親に聞こうが祖父に聞こうが、跳ね返ってくる言葉は「スゴい人らしいよ」というふわっとした言葉が宙を漂う。当然、実際にみた生の声がこれでは、子の世代も「すごい人だけど、口が悪い人だよ~」と、婉曲というか引退して表に出た、個性的すぎる性格がミックスしてよりイメージが二転三転してしまっている。多分あらゆる言い伝えは、このようにして歪曲なり誇張されたりしたんだろう。かねやんから歴史を知るとは。

 

 

 

というわけで、私なりではあるけれども、金田がどのようにして400勝していったかという、太古の昔に樹立した金字塔、その意外と知られていない変遷を簡単にまとめてみようと思う。間違いとかもあるかもしれないので、そこはご容赦願いたい。また、この記事は新たな情報を入手次第、適宜更新していこうと思うので、何回か流し読みしたら、更に当時のことが鮮明になると思うので、ぜひよろしくお願い致します。

 

 

 

【入団~1年目】

実は金田は17歳で既に入団している。そもそも入団した1950年にドラフト制度などないので、甲子園で負けたタイミングを図って金田を獲得したらしい。

 

 

 

この入団背景には豪運がからんでいて、金田のいた高校(享栄商業)が練習で使っていたグラウンドが、たまたま国鉄が使っているグラウンドだったらしく、折しもこの年に2リーグ制のエキスパンションに国鉄が参加していていたのもあり、ほぼ名前が知られていない金田をいち早く獲得することができたみたいだ。

 

 

 

この年高校2年生として迎えた金田の高校野球は、愛知県大会準決勝で一宮高校に負け、甲子園進出を逃してしまう。しかし、その約1ヶ月の愛媛県松山で行われた広島戦にて、なぜか体が大きい高校生が1人マウンドに立っていた。金田正一、なんと高校2年生・1ヶ月前はおなじ高校生と、汗水たらして深紅の大優勝旗を愛知に持ってかえらんとしていたのに、まさかプロの遠征に帯同して、年の差10は離れた先輩をバックにプロのマウンドに立っているとは。

 

 

 

デビューした年、とある阪神戦にて阪神の主力金田正泰に「あいつの球が速すぎる。投手と捕手の感覚が短いのでは?」といちゃもんをつけられるという、昔の神話のような伝説を残していた。

 

 

 

金田の球は果たして何kmなのかという話題が、プロ野球ファンの間でまことしやかに囁かれる。160kmは出ていたとか、プロ野球史の中で最も速かったとか。金やん自身は180km出ていたと高らかと笑っていて気持ちよかった。あれをマジで言っているという?????な人もいるけども。

 

 

 

自分は145km位じゃないかと思っている。昔の映像をyoutubeなりCSジータスでやっているけれども、江川卓のプロデビューの初球が128kmの速球だったり、江夏豊日本シリーズが135km台のストレートで、40年前のストレートが135~140km辺りが相場ではないかという所。

 


1981 江夏豊 1 日本シリーズ

なまくら過ぎるな・・・

 

 

 

ただ、金田は当時の野球からしたら高すぎる奪三振能力を併せ持っていた。1959年は304イニング投げて313奪三振を記録している。スタミナもエグイが、当時は300イニング投げて200個三振を取れるかどうかという時代で、イニング数を越える、あるいは迫る奪三振数は当時としても異例。奪三振数は投手の球速に比例してくる(江夏・ライアン・クレメンス皆剛速球投手)ので、金田も当時より10kmは速いと考慮して145kmとまぁこんな感じである。

 

 


金田正一のピッチング

(145kmも出てるのか不安になってきた・・・)

(フォームがひどすぎる・・・)

 

 

 

1952年に柚木(ゆき)進というパリーグの投手が、ひっそりと最多奪三振を獲得したのだが、その数はわずかに104個。かたや金田はセリーグで269個も三振をぶんどっているのだ。これは驚異と言える。三振が取れるから球が速いとは限らないと、自分も重々承知してはいるけれども、ここまで当時のトップ同士に差があると、金田の球は別格だと思わざるを得ない。

 

 

兎にも角にも、阪神の主力で後の阪神監督まで登りつめている金田正泰が、マウンドまでの距離が間違っているんじゃないか?という逸話がのこっている時点で、当時の平均的な投手より大分速くなければつじつまが合わないのである。

 

 

 

話が横道にそれてしまったが、1年目の金田は8勝12敗 防御率3.94 164 2/3投げて127与四球というとんでもないノーコンでもあった。しかし、高校2年生がプロ選手に混じって8勝するとは本当に驚きだし、12敗もするまで投げさせるなよ。

 

 

 

【2年目~5年目】

18歳になった2年目からは、更に驚きのピッチングを続けていた。22勝21敗 350イニングを投げて、防御率2.83 実に1488人の打者と対戦していたらしく、これは完全に野球の労働基準法違反だ。甲子園の酷使など目じゃない。だって1488人も対戦しないから。

 

 

 

ついでにその翌年は24勝25敗358イニングである。19歳が358イニング。おまけに24勝したのに負け越し、まさか存命中に同じ24勝して無敗で切り抜ける男が出てくるとはも夢にも思わなかっただろう。

 

 

 

しかし最多投球回ではない。当時まさに全盛期であった巨人の別所が371イニングも投げていたからである。神話には神話。酷使には酷使。とある記述によると、別所は肘・肩の故障に悩まされたことがないらしい。1947年には448 1/3イニング47完投したとか。ある意味野球の神様である。

 

 

 

4年目にもなると23勝13敗 303イニング 2.37と少々野球らしい成績になってくる。金田はやっと野球をし始めた。今までやってたのはクリケットだ。しかし、5年目になるとまた23勝23敗 345 2/3 2.63と、またクリケットに逆もどり。金田はクリケットの方が好きなのかもしれない。

 

 

 

ちなみに、金田は2年目~4年目までのシーズンはいずれも最多奪三振を獲得しており、5年目に逃さなければ、6年連続まで続いていたようだ。だれが止めたかというと、フォークボール生みの親、杉下茂である。395 1/3イニング投げて273奪三振、金田は269個でわずか4個差。まだ杉下は生きているというのも怖くなってくる。

 

 

 

ここまでの金田の成績を振り返ってみると、5年目まで

勝利数・・・8・22・24・23・23 合計100勝

敗戦数・・・12・21・25・13・23 合計94敗

奪三振・・・143・233・269・229・269 合計1143奪三振

イニング・・・164 2/3・350・358・303 2/3・345 2/3 合計1522イニング

 

 

 

5年目までといっても、金田は17歳からプロ生活が始まっているので、21歳までで100勝している。大卒投手はまだキャリアどころか、プロに入れるかすらあやふやなのに、金田は100勝しているのだから恐ろしい。ついでに94敗もしている。

 

 

 

「100勝しても94敗する投手は要らない~」という人も、ちらほら居そうだけど、当時の国鉄が勝率3割ないし調子が良くて4割なので普通に必要です。金田が投げただけで勝率が5割越えるのだから。調べれば調べるほど、この5年の国鉄は強くなくて、二桁本塁打が1人とか、1950年の国鉄のエース格の成田が、2勝13敗 4.47なので想像以上にめちゃくちゃ必要でした。もう1年目からエースです金田は。

 

 

 

創設当時の楽天の勝率が.356なので、あの年の楽天より5分も勝っていない、こんなに酷いチームなかなか無いだろうと高をくくってたんですが、この年、実は広島カープの方が勝っていなくて、なんと勝率.299でした。一流の打者の打率より勝っていないこのチームより酷いチームなんて無いだろ~~~と思ったら、今年(2019年)のMLB デトロイト・タイガースが.292でした。今のメジャーリーグは確実にアブない・・・。ましてやタイガースに金やんはいないし・・・。

 

 

 

【6年目~10年目】

 

 55年~59年までの6年目~10年目が金やんにとっての全盛期といっても過言ではない。55年は29勝しているし(20敗しているが)58年には31勝している(14敗しているが)。加えて防御率は驚異の1.30である。どうやって14敗もしてしまうのだろうか。

 

 

 

また、57年には完全試合も成し遂げている。しかも9回に43分間もの中断があったにも関わらずである。相手の中日が自チームのハーフスイングの判定に納得がいかず、43分も抗議したらしい。そんなにするな。この時代の日本人はみんな血気盛んなんだなと。確かに戦争とか空襲とか経験していたら、気まずい雰囲気とか、空気を読むなんて発想はくだらないだろうなぁと。

 

 

 

金田は試合再開後、チームメイトに「あと6球で終わりや、帰り支度しといてや」と公言するあたり、めちゃくちゃ尖っている。お笑いに芯がある新進気鋭のNSC生みたいな尖り方である。もう金やんは立派な中堅選手だというのに。

 

 

 

「金田の最も偉大な記録は?」という質問は、野球ファンの間で話題にのぼることは多いけれども、私が思うに58年に達成した「64 1/3イニング連続無失点」だと思う。この記録は本当にとんでもない。なぜならMLB記録(59イニング)を優に超えているからだ。オーレル・ハーシュハイザーが更新したこの記録も、海の向こうでは伝説の記録の1つと名高い。現在のNPBも統一球時代を超えて、再びHRも出るようになった。金田のこの記録も安泰といっていいだろう。

 

 

 

58年と言えば、長嶋茂雄がデビュー戦で4打席連続三振したでお馴染みではあるが、長嶋は決して金田を苦手にしているわけでもなく、対戦成績.318・18HRで圧勝していた。金田も「あの小僧、モノになるかもしれない。三振は全部フルスイングだった」と残していた。しかし、よく見るあの長嶋のフルスイング写真は、確かに球が当たったら・・・とも思ったり。

 

 

 

この5年間の成績を振り返ってみると

 

勝利数・・・100・29・25・28・31・21 合計234勝

敗戦数・・・94・20・20・16・14・19 合計183敗

奪三振・・・1143・350・316・306・311・313 合計2739個

イニング・・・1522・400・367 1/3・353・332 1/3・304 1/3 合計3279イニング

 

 

 

 金やん、プロ9年目で既に200勝に到達していた。しかもこの時点で工藤の通算勝利数をらくらく越えていた。工藤はプロ生活29年だというのに。もっと言うと山本昌はプロ30年で219勝である。この時点で現在の通算勝利数歴代13位にランクインする傑出具合はまさに「天皇」ちなみに敗戦数も歴代13位だった。(12位はハマの番長三浦)

 

 

 

もっとスゴいのは奪三振。5年連続300奪三振MLBでもランディ・ジョンソンしか達成したことがない快記録。いや怪記録なのかも。ノーラン・ライアンでも成し遂げていない記録を大昔に金田は樹立していた。この時点での歴代奪三振記録は8位。その下が稲尾で、「9年で稲尾までゴボウ抜きしたのか」と腰を抜かしたが、稲尾も14年しかやっていないので、腰が戻らなくなった。びっくりしすぎは体に悪い。

 

 

 

【総括】

総括というか、半分までしか遡っていないので、いわば「半括」になってしまうのだが、金田は、投球内容が抜けていることに気がついた。サイ・ヤングは時代柄か7000イニング投げておきながら、奪三振数が3000を越えていないし、ノーラン・ライアンは324勝しながら292敗しており、金田より大分勝率が低い。

 

 

 

また、ノーラン・ライアン曰く「若い頃、ベーブ・ルースのHR数とウォルター・ジョンソンの奪三振数は不滅」だとドキュメント番組で語っていたが、まさかライアンが抜く前に日本で抜いている投手が居るとは思わないだろう。レベルの差こそもちろんあるけど、金田の奪三振記録も不滅と言える。そもそも日本で最後に300奪三振を成し遂げたのは、1970年の江夏豊が最後なのだ。それ以降に最も近づいたのが、90・91年野茂英雄の287個だった。

 

 

 

いずれにせよ、まとめている途中に「これってWikipediaの焼き増ししているだけじゃないか・・・???」と自身のブログに対して懐疑の心境がわき起こったけど、まとめている内に自分の中の「昭和の野球」がどのようなものであったか、より鮮明に解像度が増したので、これは良い研究だった。まだ半分しか書いていないが・・・。

 

 

 

後編は、今の所書く予定ではあるけど、いつまでに書き上がるかは未定です。それまで、のんびり金田のことを追い続けていきます。やだ、これじゃ俺ストーカーみたいじゃん・・・。

 

 

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