インドのピラニア

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改めて稀勢の里の引退を振り返ろう

俺が相撲を見始めた頃からこんな感じだったな。



朝イチでネットニュース見たときの「とうとうこの時が来てしまった」という寂寥感をエネルギーに変え、ちょっぴり眠り続けていたブログを呼び起こすとした。



そのエネルギーが、脳内に眠り続ける10年以上前の記憶を呼び覚まし、初めて名前を知った日の記憶を、目頭の奥の脳内ビジョンに高画質で映し出された。



2006年の初場所、時は朝青龍全盛期、ちょうど中田英寿とモンゴルで巡業抜け出してヘディングするちょっと前だった。



小学6年生で、全く望まなかった中学受験を受けさせられ、親から期待というか、「受からなかったらどうなるか分かってる???」という異常な視線を向けられていた、髭も生えない僕よりも、端から満ても明らかに可哀想なくらい、全相撲ファンの異常な期待を背負っていた。



萩原 寛 四股名稀勢の里


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後に久方ぶりの日本人横綱として、大相撲の歴史に名を残したこの力士は、既に宿命を背負わされながら相撲をしていた。



初めに断っておくが、現在に至るまで、数多のスポーツ選手・芸能人・文化人が、ファンなり事務所なりの期待を背負って、透明であるはずのプレッシャーが、具現化して可視できる状況になり、目が虚ろなりギラギラした人ならざる人、こういう類いの人物は見覚えがあると思う。アイドルによく居るこういう人。めちゃ怖い。



たけど、稀勢の里の背負っていた期待は、たぶんこんなもんじゃなかったのでは。おそらく「日本人で最も期待を背負わされた人」だったのかもしれない。



何故そんなことになってしまったのだろう。 日本人だったからだ。



既に引退して10年近くたった今、朝青龍時代を知らないファンも増えてきた。朝青龍の取組映像で「今こんな力士が居れば面白いのに」とか「朝青龍が居た時代は良かった」とかね、流れてきますけども、まーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーちゃんちゃらおかしい。



朝青龍時代といえば、満員御礼が出ないのが当たり前の時代。出るのは初日・中日・14日目・千秋楽の4日間が相場という、今みたいに1年90日間やって90日ないし、最も人気がない九州場所2日目以外は満員御礼といった所だろう。



あんな見事なヒールが居るのに人気がない。ヒールは人気回復のお膳立てに効果的なのは周知の通り。ヒールが居れば因縁が生まれる。宿命も生まれる。蝶野が居たから三沢も映えた。ホーガンが居たから、立ち向かう猪木が映えた。だから新日本プロレスはこの時代の怪物コンテンツになり得た。



現在の角界にはヒールなんて居ないのに(強いていうなら白鵬……?)チケットは取れない。当日券も始発の電車に乗って取れるかどうかも分からない。未だに不祥事は絶えないというのに、客は我先に駆けつけてくれる。



理由は2つあった。
1つはこの時代にヒールを叩きのめす「ヒーロー」なんか居なかった。
もう1つは単に「朝青龍が横暴すぎる」という点に尽きた。彼はヒールの域を越えていた。



不祥事起こしまくって、相撲ファンの居心地を悪くし続けていたし、稽古場でかわいがりもよく見られた。目ぼしい力士を片っ端から指名して、再起不能の怪我を負わせたりもした。高見盛が正にそれだった。今でこそ愛されている高見盛なのだが、朝青龍との稽古で怪我をする前は、大関を見据えた立派な有望株だった。




そんな「横綱の品格」以前に「スポーツマンシップ」に欠ける悪人を何とかならんものか。この当時の国技館やTV画面の向こうでは、空気は常になにかどんより重くて、楽しむというよりかはどこかピリピリしていた。




今のように「玉鷲と御嶽海の戦いが楽しみ」なんか、これっぽっちも考えたことがない。「中日旭天鵬???おいおい」と朝青龍の相手が勝てそうに無かったらもの凄くガッカリした空気が流れていた。




「中日に旭天鵬横綱と戦わせないで下さい。勝敗が分かりきっているから・・・」と当時の国技館のアンケートに書いたのは、何を隠そう世を忍ぶ若かりしスーモ。抽選で椅子席が2枚当たるらしい。そう上手くは行かないだろうと、ダメ元のケンカ腰で意見を書いたら、数週間後に我が家にチケットが届いた。相撲協会はものすごい勇み足を踏んでいた。



懐かしの平成20年代は、日本人トップの陣容に木枯らしが吹いていた。魁皇琴光喜千代大海は何れも35歳前後のベテラン勢。これ以上の実力UPは望めなかったし、唯一20代の琴欧州は、1人だけローション土俵で戦っているような、かなり脆い敗北を続けていた。河本準一なら骨折して治療費を生活保護でタダにしている所である。



そんな時代に稀勢の里は居た。18歳で関取を射止め、貴乃花に次ぐスピード出世を遂げたスーパーエリートは、10歳は離れた上位陣と毎回しのぎを削っていた。学校なり定時が迫る5時30分。好角家は毎日星取表を確認しては一喜一憂していた。



相撲ファンが注目したのは、日本人横綱が居なかったという、理由だけではなかった。99%の力士が「寄り」か「押し」だけを極めるように相撲を取っていくのに対して、稀勢の里はどちらも出来るというスーパーレアな力士だった。こんな逸材はそうお目にかかれない。課金してガチャ回しても出ない。「日本人横綱にもしなれる人が居たら、多分この人だろう」と全員思っていた。



しかし、どうもおかしい。上位陣と競り合ってる期間が3年・4年と伸びてくるたびに、ファンは首をかしげ、心もとないヤジが飛ぶようになっていた。



稀勢の里が一向に伸びてこない。まだ大関には千代大海魁皇も居る。2人ともボロボロなのにその座を稀勢の里に譲る雰囲気は微塵もない。そしてその2人に引導を渡せる感じもない。



そんなこんなしていたら、稀勢の里をはるかに越える恐るべき力士が上がってきた。白鵬である。この天上天下唯我独尊横綱は、稀勢の里ピッケルで進む山肌を、軽くスキップで越えていくのだ。



白鵬は初めての上位陣総当たりの場所で、12勝3敗で乗り切るという相撲ファンからしたら常識外れな成績を残していた*1稀勢の里も8勝7敗で並の力士ではないと証明しているのに。



今振り返ってみると、上位定着から大関まで数年間かかることは、別に特段に遅いというわけではないし、むしろそれが通常なのだが、ものの1年ちょいで大関ないし横綱に上がってしまう白鵬と、そんなことも言ってられない、外国人横綱のみの異常ともいえる番付がそうさせなかった。



白鵬は上がっているのに、何故稀勢の里は上がれないのだ」ファンはずっとやきもきしていて、そうこうしている内に、日馬富士と把瑠都がこの出世レースに割り込み、いつの間にか琴奨菊にも先を越されてしまった。大関には先に上がれたけれど、横綱昇進は鶴竜の方が早かった。引退後、貴景勝に至っては初土俵から5年もかからず上がっていた。



もちろん稀勢の里稀勢の里なりに、着実と実力を伸ばしていたのは全員が認めるところであった。白鵬の連勝記録を63を止めたのは、紛れもなく稀勢の里だった。そしてついでに43連勝で止めたこともある。


白鵬-稀勢の里 平成22年(2010)十一月場所2日目
この映像の終盤を見たら分かるが、当時の国技館は閑古鳥が本当に鳴いていた。当時の不人気ぶりが分かる映像とも言える。



それでも、相撲ファンが期待する優勝には本当に届かなかった。稀勢の里が10日目まで9勝1敗で乗りきっても、白鵬が大概10勝0敗で乗りきってしまう。高すぎるハードル。ハードル走なのにセルゲイ・ブブカが飛ぶ高さ。横綱は確かに強いが、1年中10連勝してしまう力士は白鵬しかいない。わずか1つの取りこぼしで、あっという間に本割・優勝決定戦の2連勝せざるを得ないという、圧倒的アウェーに置かされてしまう。



そのわずか1つの取りこぼしが、その1番だけ稀勢の里という「箱」に素人の「魂」が迷い込んでしまったかのような、本当に弱すぎる内容で負けてしまうから不思議でしょうがなかった。特に碧山戦でそれが起こりまくっていた。



力量差は圧倒的だというのに、妙に顔が強張る稀勢の里。目がぱちくりしている時は緊張に飲まれている証拠。みんな知っていた。こういう時の稀勢の里は負けパターン。立合い、何故かピョンとジャンプをしてしまう稀勢の里。倒れないことがキモなスポーツで、なぜか最も倒れやすい体勢になってしまう。200kgの碧山のもろ手が直撃して、あれよあれよと後退したのち、あえなく1敗する。これが当時の定番。



こんな負け方をばかりしていたので、稀勢の里に関わるバッシングなど、それはもう酷いものだった。「上半身ばかりトレーニングして、すっかり稽古した気になっている」という評論家や「夜遊びが足りない」という素っ頓狂な意見まで、毎場所のように記事がまとめられていた。「もっと女を抱いた方がいい」という、ラサール石井みたいなファンもちらほらいた。

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でも、それでも稀勢の里の応援をやめたファンは1人も居なかった。それは日本人横綱を期待しているからという理由もあるけど、それ以上に「誰よりも努力している」ことをみんな知っていたからだ。



稀勢の里は全くバラエティに出なかった。本人自体はユーモアに溢れていて、面白い人だということは、昔からよく聞いていたけれども、それを全くメディア越しに表現することはなかった。強くなるために愚直に我慢していたし、寡黙な人だと思わせることで、少しでも大相撲で有利になろうと努めていた。生活の全てが相撲中心という、SASUKEの山田勝己のような生活に努めていた。



現代において、ここまで愚直な生活を続けられる人は本当に少ないし、またその生活が報われる日が来たのは、想像以上にずっと遅かった。日本人優勝も琴奨菊に取られてしまったし、引退して1年も経たずに、御嶽海が優勝回数でもう稀勢の里に並んでしまった。



だからこそ、稀勢の里が優勝したときほど、俗にいうエモい瞬間はなかったと思う。優勝して「おめでとう」というより「良かったなぁ」という感覚。似ているようで違う。報われたという感覚。他の力士が優勝するときとは、少し違う胸のうちだったのを覚えている。



そのあとは周知の通りで、次の場所で連覇したものの、左腕を絶望的に痛めてしまって、それが治らず現役を引退した。まさしく流れ星のような力士生活だった。



2019年の1月に引退したので、そろそろ1年がたつ。引退を聞いたときはヒステリーに際なわれた好角家も、もうメンタルが落ち着いてきた。あれから土俵ではなく、解説者席に座るようになった荒磯親方。かなり流暢なトークとどっしりした理論で相撲を解説していて、みんな目が点になっている。この人が碧山にジャンプしていた力士なのかと。あっという間に人気解説者になりそうである。



稀勢の里が土俵から去って、まだちょっとしか経っていないのに、大関の陣容も大分変わってしまった。弟弟子の高安までもが、不運な怪我によって関脇に陥落することが決まった。この1年で大相撲がとんでもなく変わっているのに、白鵬だけは全く変わらず横綱に居座っている。とんでもなさすぎる。



ひょっとしたら、稀勢の里が自分の部屋を持って、その弟弟子が倒さなければ、白鵬は引退しないのかもしれない。稀勢の里が育てた弟子・あと10年は頑張る横綱。どっちも見たいものである。






〈これも是非〉
mochan9393.hatenablog.jp
先場所のとある日本人力士とモンゴル人力士の話

mochan9393.hatenablog.jp
43回目の優勝を飾った白鵬の話







シーユーアゲイン なにもあげん

*1:通常上位初挑戦の場所は、5-10・4-11のような2桁敗戦が当たり前