インドのピラニア

野球・相撲 時々その他 自由きままに書く インドのピラニアのように

俺は豪栄道の何も知っていなかった

令和2年になり、はや1ヶ月。2回目の東京オリンピックが間近になっていく中で、日々伝統を貫き、時代錯誤と戦っているスポーツがある。大相撲だ。

 

 

 

中学1年生から大相撲というものを真剣に見始めて、もう15年が経つ。つまり、人生を振り返ってみたとしたら、「大相撲を見ていない期間」より「大相撲を見ている期間」の方が長いということになる。もうずいぶんNHK様に寄付と関心を寄せてしまったという訳だ。

 

 

 

15年も見ていると、その力士が幕内で凌ぎを削っている姿もそうなのだが、十両にのし上がってきたときの初々しい姿だったり、幕下から上がれず苦闘する姿とかもしっかりと目に焼き付けている。おそらくそれの最初の力士が「沢井」だったのではないだろうか。

 

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当時「澤井」「影山」と言えば、コアな相撲ファンや学生相撲界隈に一目も二目も置かれた存在だった。後に「豪栄道」と「栃煌山」に名を変えた両力士は、数多の勝負を幕内で繰り広げることとなる。

 

 

 

澤井といえば、今でも語り草になっている取組がある。「澤井」とあえて本名を使ったのは訳がある。それはアマチュア時代の出来事だからだ。全日本相撲選手権、遠藤や御嶽海など、後の三役・人気力士が繰り広げた歴史ある大会。大学生力士・社会人力士が大勢参加するその大会に、沢井は高校生ながらエントリー。その結果全国3位というとんでもない勝ちっぷりを見せつけた。

 

 

 

その中で語り継がれるのが、澤井ー吐合戦である。澤井は高校生横綱ではあるが、吐合はその上の大学生横綱。つまり遠藤や御嶽海、古くは朝潮武双山などと同じタイトルを引っさげての参加だった。大学4年と高校3年のトップ同士の勝負。勝敗は当然ながら吐合に有利だった。はずだったのだが・・・

 

 

 

その勝負は澤井に軍配が上がり、未だかつて無い、高校生横綱>大学生横綱という力関係を相撲界に知らしめたのだ。しかも2連勝。この瞬間澤井の並外れた才能が明らかになった。

 

 

 

自分が豪栄道の存在を知ったのは、平成19年の9月場所で豪栄道の新入幕だった。11勝4敗という星取もさることながら、11日目までは10勝1敗の快進撃を続けていたところに安馬ですよ。元安馬・現日馬富士・いや途中日馬富士・現ダワーニャミーン・ビャンバドルジさん。今はモンゴルで実業家のこの人との戦いはスゴかった。

 

 

 

桁違いな安馬の立合の鋭さからの送り吊り落としで決着。その10秒弱の取組に豪栄道も数多な対策を取りまくっているのも、映像を見ればなんとなく分かる。この濃密な取組は好角家初心者のスーモにとってはかなり衝撃的だった。それと中日の旭天鵬戦もいい。左四つがっぷりに組まれて圧倒的不利な状態でも、旭天鵬を下せる力量は当時でも非凡だった。

 

 

 

https://www.youtube.com/watch?v=LmlGa4RaFOs

 

 

 

そこからの3年弱、ほぼ幕内上位で同学年の稀勢の里栃煌山と共に、当時の大相撲界を背負っていたわけだが、平成22年の7月場所に大トラブルに見舞われる。野球賭博である。

 

 

 

その翌年の八百長問題もあったが、野球賭博の衝撃もかなり大きかった。連日ワイドショーで取り上げられるし、時代柄、坂上忍ではなくみのもんたが、朝ズバで糾弾されるのを尻目に高校に行くという最悪通勤をする羽目になってしまった。「なんで相撲みているだけでこんな目に・・・」なんて思いながらの満員電車も辛かったが、豪栄道もかなり苦労したようだ。

 

 

 

FLASHだから鵜呑みには出来ないけれど、一説には1回の賭場に500万円の負けを叩きだしていたという豪栄道。この事件で2人の天才が被害を受けてしまったと思っている。1人は琴光喜。彼の相撲は正に天才の取り口と言っても過言ではなかったと思う。その大関がこの事件で角界から追われてしまったのだから、ファンとしてもめちゃくちゃ無念だった。しかし、豪栄道までそうはならなくて一安心もした。バクチで力士生命が絶たれてしまうということが無くて良かった。

 

 

 

兎にも角にも豪栄道角界に残れた訳だけども、それから先も様々なものと闘っていた。やはり自分の中で最も印象に残るシーンは、関脇時代の豪栄道だろうか。

 

 

 

関脇時代の豪栄道は、そりゃもう「大関」と言っても良かった。なぜなら、面白いように豪栄道大関を食っていたからである。琴欧洲琴奨菊などの佐渡ヶ嶽勢も稀勢の里も、この1番に勝てば・・・という勝負で豪栄道が止めにかかる。当時は日本人優勝が久しく出ていなかった時期もあり、千秋楽豪栄道に負けて優勝・大関昇進が絶たれる場面がかなりあった。

 

 

 

しかし、めちゃくちゃ強いのに、どうしてか大関に上がれるほどの勝ち星は挙げられなかった。*1それが豪栄道特有の引き癖にあった。

 

 

 

この当時から豪栄道と言えば「引き癖」だった。それも、かなりまともな引き。苦し紛れなのが透けて見えるような引きだった。そして不利になってからすぐの「首投げ」も問題の癖だった。首投げは、相撲の歴史から見ても安芸乃島が、首投げの癖で大関昇進を逃したとも言われている。その癖がありながらも大関を5年守り通せた豪栄道は、そういう意味でも天才と言っていいのではないだろうか。

 

 

 

大関昇進を叶える為には、その基準が高すぎて1つの黒星が命取りになってしまう。8-7を続けるのなら別にそのままでも良いかもしれないが、2桁勝利を目指す身分となると、おいそれとはいかなくなってしまう。押されると反射的に引いてしまう「引き癖」と、まだ何とかなる場面なのに、起死回生を期す技「首投げ」をすぐに打ってしまう癖が、豪栄道の相撲に潜む弱点だった。

 

 

 

・・・とまぁ、相撲雑誌に書かれるとしたらこのような感じだが、大関にもなっている力士に「悪癖が直らずに大成できなかった」なんて書きたくない。そう書いてしまう所が相撲雑誌のキツいところ。「何故横綱ではなく大関止まりなのか」で判断してしまう。それに豪栄道がそれを直さずそのままにした訳ないのだから。埼玉栄の相撲部員なら誰もが憧れる力士。貴景勝豪栄道の胸を借りて成長してきたのだ。

 

 

 

ネットを飛び交う様々なニュースと照らし合わせると、やはり度重なる怪我に悩まされてきたらしい。引退した場所は靱帯損傷が酷く、「深刻さが1・2・3としたら3。手術のレベル」という記事があった。手術をすると全治1年になってしまうので行わなかったらしい。もっと酷い時は肋骨が折れているのに「蚊に刺された」と言っていたとのこと。*2

 

 

 

確かに引退した場所の豪栄道は、急場凌ぎも良いとこだった。そういえば体があんなにタプタプした豪栄道も見たことは無かったな。当たり前だが、全治1年の重傷を負っている身で、満足な稽古が出来るはずも無い。立合すぐに右四つの十分、出足が生きていても、一気に御嶽海を土俵外に出すことが出来ないのを見るのは辛かった。

「かつて出来ていた事が出来ない」引退直前の力士のあるあるである。

右上手を取っているのに切られてしまう魁皇、出足良くても相手が1歩も下がらない千代大海を見てきた経験がある。

 

 

 

「貫いた信念はやせ我慢」と引退会見で答える豪栄道を見て、俺は改めて「相撲を見たところで、何もその本人のことを分かっちゃいないんだな」と痛感させられた。相次ぐ悪癖と大関になって満足できる成績を残せていない時点で、「相撲に真剣に向き合っていない」「自分の弱点を直そうとしない」と早合点していた。

 

 

 

力士になっている時点で、みんな相応の覚悟を持ち、とんでもない熱量で相撲に取り組んでいるのである。「飛行機に乗せてあげるから」という理由で千代の富士は入門したが、今や御嶽海が公務員or力士で悩んだくらいなのだ。どの力士にも現実は見えているし、それを踏まえて入門しているのだから、それ相応の覚悟を持って稽古に打ち込んでいるのだ。

 

 

 

それらを背景に見る全勝優勝は、また違った視点で見られていいものである。稀勢の里琴奨菊も6回優勝している鶴竜もしたことがない偉業でもある。改めて見ると13日目の日馬富士戦で、「悪癖」と言われた首投げで横綱を裏返しにしているのは、何かの因縁なのかもしれない。

 

 

 

https://www.youtube.com/watch?v=YRW-1iq7MGo

 

 

 

最後に、豪栄道の師匠の境川親方とは長年の付き合いがある舞の海さんが、とある記事でこんなことを言っていた。

 

 

 

 「親方の性格はカラッとしていて、常に“やせ我慢”(笑)。実は、相撲が始まると情緒不安定になるんです。『相撲を取るのは力士なのに、親方がそんなに一喜一憂してどうするんですか』と私が言うほどです。弟子たちの成績が悪いとすごく落ち込むけれど、それは周りには出さない。 厳しさと愛情の両方が強い親方なんです。境川部屋の強さの秘密は、そこにあると思うんですよ」

 

 

 

奇しくも親方と同じことを口にしていた豪栄道。いや、引退したので武隈親方になってしまったが、親方として、親父が遂に成し遂げられなかった(まだ可能性はあるが)横綱を輩出することが夢だという。四十路になったらまたNHKで見られるといいな。