インドのピラニア

野球・相撲 時々その他 自由きままに書く インドのピラニアのように

27歳の備忘録

27歳になりました。生きも生きたりやね。Twitter・LINE等でお便りをくれた方々、本当にありがとうございます。



予想以上の反響で嬉しさ半分、こそばゆさ半分って感じです。でもナベツネが、終戦後すぐにシラミを熱湯にかけてぶち殺した位にはテンション上がってます。ナベツネの戦後政治を語るNHKドキュメンタリー面白すぎ。
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1年が365日だとして、27年で9855日とのこと。10000日まであと少しで東京オリンピックからもあと少し。そうなったらいいけどね。こんな世の中ではね。感染対策出来てるのはフェンシングくらいでしょ。でも、感染対策しきれてないから、お面付けながらフェイスガードも付けてフェンシングやるかもね。



27歳ってそりゃもう絶妙に微妙な年で、これから30歳になるまでは、それに悶えて、悩んではっちゃけたりする年になるんだろうか。社会人としては若輩も若輩だし、周りも結婚して来てそろそろパパになろうかという年齢。渋谷を闊歩する10代からは、どっからどう見てもおじさんである。



そんな微妙な年になった誕生日は、ポケットカウボーイが流れる中で、端でポンポコ踊るコジコジみたいに、頭をパラっと解放するしかないね。その横を黒いゴキブリがスーっと素通りして、これまたコジコジの半魚鳥の如く、家を走りまわっていたらもう10時である。もう27歳のかげがえのない1日をムダにしてしまった。
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そういう男の日記のような、備忘録のような、まぁ取り留めのない話です。



・渋滞



今年の夏休み、ふと思い立って1人旅を敢行することにしました。



元々ドライブも好きなこともあり、連休が続くとつい車を動かしたくなる。1人だけの車内って、何聞いたって良いし、二の腕が塞がれている故に、普段家ではやらないことをやれたりする。それが心の中に新しい風を送ってくれる。ラジオは家では全く聞かないけれど、車で聞くラジオって新しい発見することあるよね。「こんな良いのか」と目を丸くすることがけっこうある。



twitterに熱海の高台から見下ろした写真とか、撮影可能な美術館のブースで(シャッター音どうやって消すんだっけ・・・)とロダンの「考える人」状態になりながら、荘厳な屏風をカメラに収めたりした。ついでに勢いも勢いで、事前に予約も取らずにハトヤホテルに突撃したり、断られたり、ラジバンダリ。行き当たりばっかりな旅が出来るのが、1人旅の最大の長所。
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ハトヤホテルは無理だったけれど、支店??的なサンハトヤには無事に泊まることが出来て、一泊したのち帰路の途につく、ご時世で旅行者が減っていたといっても、よもやお盆で道路がガラガラという訳もなく、帰り道は悪魔の一車線通路に進路を塞がれ立ち往生。完全に渋滞にはまった。



夕暮れで太陽が西に沈むのを半身で受けながら、流石に新鮮味がなくなったラジオを聞く。太陽が沈んで辺りに闇が姿を現していても、一向に先に進む気配がない。



ふつふつと着実にイライラしてきた。1時間で1kmも進んでいない。そんなのは勉強だけで沢山なんだから。交通機関は60kmで走ってナンボなのよ。夜遅くなればなるほど、家でゆっくりする時間も短くなる。そんな思いが、車をブレーキ→クリープ現象による、惰性からなる前進へと駆り立てる。



「いやぁ、だいぶ奇跡だなぁ」と思ってしまった。この何キロに渡る渋滞を構築している延べ数万の車が、「あぁもう!!!!!!!!!!!!!!」とヤケになってアクセルを踏みしめないという事実がものすごい。こんな巨きな共同作業が、日本のありとあらゆる所で、日常茶飯事に起こっていることもエゲつないね。



キャンピングカーをこのためだけに買って、この一車線の道路を爆走したらどれほど気持ちいいだろう。クレイジータクシーみたいに、人轢きまくりながら、時には海で待っているお客さんも乗せられたら楽しいのに。楽しくはないか。



みんな鉄の心でもって、家族と己が命を心許ない薄氷な環境の上で守っている。心の温暖化が起こったら、シロクマが海に吸い込まれてしまうよ。心の温暖化って家族愛っぽい響きなのにね。



100年後に、空飛ぶクルマが発明されて、22世紀の人が渋滞の映像を見て笑ってくれるのが、1番良いんだろうなぁ。





・時の試練



つい最近だったか、外山滋比古さんという方が亡くなったらしい。日本を代表する文学者の1人のようで「思考の整理学」という本が、40年前の本だというのに、東大生・京大生のなかで、最も読まれている本だという超ロングセラーな本だという。



この本を、10年前の確か塾の国語の先生が、「この人の文が最も出題されている」と雑談で言い広めていたのを、何となく覚えていて、本屋をそぞろ歩きしたついでにと、半年前に買った本なのだが、これがかなり面白い。



小説とか哲学書とも違うし、ポエムとかエッセイとかそういう類いでもないし、ビジネス書のような説教臭い本でもない。生き方の指南をしているのが話の大筋なんだけど、筆致がかなり柔らかくて、何となく作者の考えに言いくるまれてしまう。「忘れることが大事」「アイデアを発酵させる」とか、一見意味分からないこと言っているけど、一読したら、たぶんうんうん言っていると思う。



その本で最も好きな段落があったので、ここに書き記していこうと思う。p122から始まる「時の試練」という段落。



まず、この段落だけ作者が妙に鼻息が荒いというか、筆致に謎の勢いを感じることができる。その内容は、島田清次郎という、大正時代を駆け抜けた天才作家がいたけれども、数十年もの年月の経過のうちに、それを語り継ぐものが居なくなったというもの。逆に現代小説の権化、夏目漱石の小説は、当時あまり受け入れられてなかったらしい。



日本を代表する国文学者の作者が、「まさに天才」と称した伝説の小説家、島田清次郎。そんな人を小耳に挟んだことがないので、ちょっくら調べることにした。すると13歳にして「自分の天才が世に認められない」という理由で自殺未遂をしていた。早すぎた中二病である。



それに加えて、文壇の仲間入り後に数々の乱痴気騒ぎを起こし、精神病棟に放り込まれたり、そりゃもう大正の人々から豪快に敬遠されてしまう。そもそも「時の試練」以前の話だとも思ってしまうが、かなり読んでみたくなった。古書は匂いが大嫌いなので、新書か電子書籍で要チェックや。*1


ついでに、この作者を薦めていた塾の国語の先生もちょっと調べてみた。他の塾の女教師との不倫スキャンダルで、見知らぬ所でボコボコ叩かれていた。



時の試練も、性の試練も一筋縄ではないようだ。




・なんのためにやってんだ



「なんのために勉強するのか」こういう哲学的な質問が、無垢な子供から後を絶たない。10年前には俺も事あるごとに言っていた。親はそれを聞く度、親の顔には辟易と漢字で書かれているような顔をしていた。



正直、未だに何で勉強しなければならないのか、まだよく分からない。特に英語の勉強なんか一生分かることは無いんじゃないか。現代芸術ぐらい分からない。



日本が占領されない限り、そんなに必要ないもんね。占領される可能性は、実は意外と現実味があるけど、その為だけに英語を覚えさせるのは、流石に消極的過ぎる。て言うか、占領されること考えたら、英語じゃなくて中国語だしロシア語だろ。



今生まれた子供は、おそらくもっと必要なくなる。たぶん、スマホの翻訳機能が成長する方が早いと思うから。100歩譲っても、別に通訳を連れて行けば良いだけの話だと思っている。



ある意味英語というのは"防災ずきん"みたいなものなのかもしれない。ZOZOの前澤さんも英語喋られないと言っているし「英語が好き」という理由以外であまりしない方がいいと思っている。英語が出来る→お金が稼げる という図式は、意外と当てはまらない。



勉強が何故出来た方が良いのかというのも、勉強できた方が、いじめられるリスクが減るからとか、恋愛が上手くいきやすいとか、そんな目先の利益しかないような、そんな気がする。



勉強して、誰もが羨む超有名企業に入ったとしても、働くだけでも大変なのにそこから残業、休日出勤も入る。週休2日だとしても、サラリーマン活動の疲れを癒やすのに大半を費やす。未だに広告代理店は午前様にもなっているし、ついでに結婚したら、家の中に居場所も無くなるかもしれない。別居婚のほうが、実は人間の性質的に理にかなっているとさえ思ってしまう。



人生何が正しいのか、生きれば生きるほどよく分からなくなるよね。そもそも、勉強が本当に必要だったら、部活動で時間を割かれている時間こそが本当の無駄じゃん。それを無くすべきだと思うよね。



でも体育会系の方が社会で使えると評価されるから、もう勉強って何なんだろうって感じ。部活動もしてそのあと勉強も出来る人って、それはもうスーパーマンだから、そんな人と張り合わない方がいいよ。「人生は長いから持たないよ」って言いたいな。



話は変わるが、俺にはかなりの秀才ないとこがいる。その子の学校生活は、普通にやれば学年1番になれるというのに、わざと何問か間違えて、学校で狙われないように暮らすしていたらしい。リアル吉良吉影のような生活をしていた。



高校は県内有数の進学校に入学して、特進クラスに入り、国の最高学府を目指すという、ドラゴン桜の実写版みたいになってた。言い方をまどろっこしく言ってるだけで、中身はただキャストが変わっただけのドラゴン桜です。



そこで勉強したというのに、今いとこに勉強のことを聞くと「二度としない」と返ってくる。こんなに勉強したというのに、あれだけ青春をかけたというのに、勉強が嫌いになっていて、こんなに残酷なことはない。



そういう話を聞くと「悲しいなぁ・・・悲しいなぁ・・・」とドラクエ8ドルマゲスみたいなテンションになってしまう。そういういとこにはハムスターのトーポでも送って心を癒やしてもらおう。中身は主人公の親父だが。
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これは別に勉強に限った話だけではなくて、あらゆる面で同じ状況に出くわすことがある。大学時代に後輩から言われた「スーモさんは野球をやったことがないから好きなんですよ」という意味をもっと真剣に考えなければならない。野球ファンの界隈に入れば分かる。野球部出身者がいかに少ないか。特に強豪校出身者は更に狭まってくる。



昨今は子供の野球離れ・野球人口の減少が囁かれて久しい。そんな中有識者が「もっと野球人口を増やせ」と鼻息荒く唱えている。でも、俺は別にそうなって欲しいとは思わない。



人口が増えたら、それに伴い人材を大事に扱うことが少なくなる。スタメンを取れない「負け組」も多くなる。いくら人口が多くなっても、野球のスタメンが9人より多くなることはない。



別にベンチを温めている子供たちが「負け組」だとは、夢にも思っちゃいない。けど、このシチュエーションで心がひねくれる人の方が、圧倒的に多数であることは否めない。野球人口の増加<野球を面白いと感じる人 を多くすることが最も大事。これは全てにおいてそう。



俺は趣味として「お笑い」をやっている。まぁ下手の横好きだ。ちょっと趣味の域を超えるかもという位でやっている。M-1の一回戦を通っただけで、たぶん宙を舞うくらい喜んじゃうだろう。ブログだってそうだし、ネットラジオも始めた。趣味でお笑いやってますって、まだ声を大にして言えない。恥ずかしすぎる。



でも、そのお笑いが嫌いになることはないだろう。おそらく生涯の趣味として、今後の人生を野球と相撲と共に支えていくことになるだろう。



勝ち負けで打ち込んでいる事柄を計らない。そういう時代になっていったらいいな。















<これも是非>
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シーユーアゲイン なにもあげん